2011年2月14日 (月)

またまた時代の波。

またまたぴたっと更新が途絶えたまま久しいですが、なんとか生きております。
その間いろいろありましたが、やっぱりいちばんびっくりしたのは年末にいきなり会社が買収されちゃったことでしょうか(笑…)
去年頑張った仕事がほとんど無と化して、また一からやり直し…とほほ。
でも仕事的には今までとほとんど変化なく、むしろさらにやりがいがありそうなのが救いですが。

そんなこんなで?健気に頑張っている自分へのご褒美という意味で、ついに買ってしまいました、iPad!!
この文章もiPadから書いてます。もともとWinユーザーで、Appleには根づよい反感?があるので不安だったのだけど、(特にキーボードが)、でもあっという間に慣れてしまった…
PDFもWord文書も見れるし、寝転がりながらでもネットでちょこちょこ調べ物はできるし、いや時代はこうして人の生活を変えて行くんですな。

時代と言えば?先日家からまた発掘された物があったと書きましたが、その内の一点が、おかげさまでさっそく現在水戸の茨城県立歴史館にて開催中の「頼重と光圀」展にて展示されております。
あちら方面にお出かけの方はぜひお立ち寄りください。

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2010年9月26日 (日)

「発掘」第2弾。

さてさてそんなこんなで9月も終わろうとしていますが…またいきなり出ました今度は祖父の書棚から。
主に江戸中期から幕末にかけての書付、書類など。
祖父が亡くなる前、書棚に入れたままになっていたようで…(つまり30年以上誰も触っていなかったということか)

前回出たのは主に家系図などだったけど、今回はもっと詳細につっこんだ?書付などが多く、役付きになったときの書付やら、家督相続に関する書類とか、"無調法"で蟄居させられていたのを恩赦で許されたときの書付やらがわさわさ(全部解読できないのが歯がゆい)。

剣術の免許などもあり。どうやら"無形流"をやっていたようで。天然理心流などでよく見る巻物形式ではなく、三つ折の、洋紙の厚紙みたいな紙が使用されていて、でもぎりぎり江戸中期頃のもののようです

さらには、以前にもちらっと書いたとおり、我が家の高祖父はいろいろあって幕末に蟄居させられていたらしく、その間あまりに暇だったのか、水戸市街の地図など書き写していたようで…そんなものまで出てきました。これが畳1畳くらいあるけっこうな大物で、地図大好きな私としてはもうヨダレもの。なんだか変なところで"血"を感じてしまいましたね(ついでに水戸のどのあたりで蟄居していたのかもわかりました、どうやら)

しかし、自分の署名の脇に、しっかり「蟄居」と書き込んでいる…本気で反省してたんだろうかこの人は(汗)

また今回はいままであまり存在感の無かった曽祖父が明治13年頃に書いたと思われる、絶家になっていた我が家を復活させたときの届けの写し(メモ)までが一緒に見つかったので、ようやく我が家の"幕末"と"明治"がつながりました…当時はこういう家が多かったんだろうなあ。それとも特別にラッキーだったのか。

その他にも、いろいろおもしろいものが出てきたんですが、さらに調べてみないと…
本業もひと段落といったところなので、またこちらの作業も復活しなければですね

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第7回佐藤彦五郎さん忌

9月12日(日)は第7回佐藤彦五郎さん忌で日野へ。
大昌寺でのご焼香のあと、午後からは松本零士先生の講演がありました。
以前、近藤さんから彦五郎さんに贈られたという銃の申請のときにご縁があったそうで。
貴重なお話が聞けました。ありがとうございました。
それに今年は記念の絵葉書が山南さんだったのでハッピー(笑)

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2010年9月11日 (土)

水戸 2泊3日。

■9月4日(土)
先週の土曜、4日は茨城県立歴史館での講演「幕末水藩党争史を三つの記録に読む」を聴きに、久々に水戸へ。

ここへ書くのも実に半年ぶりくらいになってしまいましたが、その間、ずーっとかかりきりのプロジェクトがあり、毎日帰宅するのが夜11時を過ぎていたりだとか、父が入院したりだとか、わんこが熱中症にかかったり、その反動でクーラーの効かせ過ぎで膀胱炎になっちゃったりだとかいろいろあり、全然書き込む余裕もネタもない状態だったもので。
とりあえずプロジェクトも父もひと段落ということで、講演会にかこつけて?、久々に2泊ほど、水戸を車で走り回ろうと、出たばっかりのSuperflyをBGMに、出かけてきました。

講演会は、比較的中立の立場で書かれているという「水戸藩党争始末」「水戸見聞実記」「水戸史談 附きのふの夢」に描かれている幕末の水戸藩の様子についてということで、もろに私の興味の中心スポットではあったのですが、何せ範囲が広大すぎて、2時間ではとても納まりきらない、という感じ…一番興味のある最後の最後ともいえる戊辰戦争、松山戦争の辺りがすっかり駆け足になってしまったのが残念。
また6回くらいに分けて聴かせていただきたいテーマではありました。

まあ映画「桜田門外ノ変」公開間近、ということで水戸は盛り上がっているようなので、また一方的に天狗側視点へ傾いてしまうことへ一石を投じるということでは大いに意味があったのでは…

■9月5日(日)
翌日日曜は前々から行ってみたかった日立の助川海防城跡を見に北上。とはいってもWebでもあまり詳しい情報が得られなかったので、まずは郷土博物館で各種史料を入手、それから市内の城跡へ。

助川海防城というのは、斉昭さんの命令で、幕末に頻繁に現れるようになった異国船を警戒するために天保7年(1836年)くらいから作られ始め、家老の山之邊家をここに移封して守らせた場所ということらしいのですね(←大雑把)。辺りには多数のお台場や陣屋もあったらしい。

現地へ行ってみたら、思っていたものより数倍規模が大きかったということがわかってびっくり。今お城跡の公園になっているところはいわば二の丸から本丸にあたるところで、一番下の大手門は国道6号線沿いの助川小学校の校門辺りだったらしい…

びっくりしながら車でずんずん城跡公園を目指して上って行ったら、途中は1速じゃないと上れないほどの急坂で、いや、すごい高低差。さらに「松ぼこ門」があったらしい場所付近から徒歩で石段を登っていったのだけど、一段が膝丈くらいある箇所もあり、昔の名残なんでしょうか。しかし、この日も暑かった…頂上ではくらくら来たけど、太平洋が一望でき(そのためのお城だもんな)、ぎりぎり夏休み気分を味わえて良かった良かった。

あまりにも暑かったので、次は涼を求め、(観光写真がすごく涼しげだった)根本から3本に分かれた「三本杉」があるという御岩神社へ山道をドライブ。道は空いてものすごく快適、辿り着いた神社自体はものすごく鬱蒼としていて、三本杉も期待どうりの迫力だったのだけど、それなのに、下界と全く変わらない暑さでぐったり…やはり今年の暑さは尋常じゃないのですな

そこからは南下ついでにまた瑞龍山の水戸徳川家墓所に(入れないけど)寄ってみたら、新しい石標が出来ていて、さらに墓所の調査報告書が市内(こちらは常陸太田市)の西山荘で入手可能、と書かれていたので、ふたたびそちらまで足を延ばし、史料のみ入手。この史料は水戸の徳川博物館でも手に入ると聞いていたのだけど、ついつい怠けていて、でもやっと入手できて良かった。図面や写真、解説もわかりやすく、かゆい所に手が届く?内容で、大満足。
あまりの暑さで西山荘内部を再び見学する体力が無かったので、そのまま退散。天狗党の乱がらみで、太田はまたいろいろ寄って見たいところがあるのだけど、また季節が良くなったら…

へろへろしながら水戸へ戻り、ついでということで?ひさびさに徳川博物館へ。車じゃないと、なかなか行かれないし。そしたらここでもしっかり売られていましたね「水戸徳川家墓所」の調査報告書。前回来た時は無かったような気がするのだけど…(まあわざわざ現地で手に入れたことに意義があるということで…?)

展示は「水戸徳川の400年‐美と知と心‐」ということで、円山応挙の作品などが展示されておりました。
その他、常設?のコーナーでは映画「桜田門外ノ変」公開間近ということからなのか、斉昭さんが謹慎中にずっと身に纏っていたという裃が。裾は擦り切れ、垢なのか何なのか、全体が錆色になっていて、無念を伝えるため?慶喜さんが保存するように指示していた品らしい? う~ん、生々しかった。

■9月6日(月)
この日も休暇をとって、午前中は水戸に。

千波湖の南岸に作られた、映画「桜田門外ノ変」のオープンセットが公開されているので、せっかくなので見学を。ウィークデーの朝ということで、あまり人もいなくて、作戦成功? 一番印象的だったのは、一面に敷き詰められた「寒水石」を砕いたという砂。反射した感じが、まるで本物の雪のようなのですな。この暑さではきつかったけど…。セット自体は間近でみると作りこみが甘いし、重厚感もないのだけど、セットとはこういうものなのかもしれんですね。実際の現場に較べると高低差も距離感もないし…でもそれがどういう映像になるのか、かえって楽しみかも。

屋内で映画関係の展示もされていて、関係者インタビューなども流れていました。ううむ、豪華キャストだなあ。一歩的な描かれ方をしていないか恐る恐るだけど、まあ公開を楽しみに…

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2010年3月16日 (火)

奈良。

3日目(月曜)は一気に南下、奈良へ。近鉄特急だとなんと30分ちょっとで着いてしまった…!

近鉄奈良駅から北上して、まずは奈良奉行所の跡地だという奈良女子大へ。この界隈には学校の施設があって、学生時代、ン十年前にはよく出入りしていたのだけど…なんだかすっかり雰囲気が変わってしまったような。以前は夜になると人気が全く無くなり、怪しげな?パブが1件くらいしか開いていないような場所だったような気がするのだけど…いまやすっかり普通な商店街に。う~ん記憶違いか?

奈良女子大は瀟洒な木造校舎でも有名らしいのだけど、今日はなぜか校門前にずらっと新人勧誘だか塾の先生だかの集団が並んでいて、立て看もいっぱい…? 入試…にはもう遅いだろうし?…この季節に学祭??? いまだによくわからないのだけど、要するに写真撮影には全く不向きなタイミングだったということで…(笑)

Uターンして次は駅の反対側、猿沢池のほとりの植桜楓之碑へ。こちらは奈良奉行だった川路聖謨さんがいろいろな人に協力を募って、幕末当時荒廃していた興福寺や東大寺に数千本の桜や楓を植樹した経緯などが本人の筆で書かれているものとのこと。篆額は当時親しくしていたという朝彦親王(後の青蓮院宮)だそうな

さてこれで今回の奈良訪問の目的は終了…というのではもったいないので、そのまま興福寺へ。東金堂や国宝館の仏像たちを間近に拝見。やっぱりここの彫刻は妙な形式にはまっていない分、表情がそれぞれリアルでいいですな…五部浄像とか、大好き。阿修羅さんも東京ではお目にかかれなかったけど、ここではほぼ1対1で独り占め…(裏は見えないけど)

ついでに生涯二度目の訪問となる東大寺の大仏殿へ…行ったのだけどもろに修学旅行の集団に巻き込まれてしまい…(汗) そそくさと逃げ出し、一山越えた隣の春日大社へ。
こちらの境内全体の雰囲気はとっても良かったのだけど…全域にわたってあまりにも金銭への要求が激しいのでちょっと眩暈が(汗)

ふらふら山を降り、ちょうど来ていたバスに飛び乗ったら、偶然にも次の目的地唐招提寺へ行く路線でとってもラッキー。市内を横切り、東の端から西の端へ。こちらはやはりン十年前に修学旅行で来たときのまま、建物といい仏像といい庭といい、余計なものが一切排除された空気のままで、今回の旅で求めていたものがすべて満たされた感じ。(そういえば去年ちょうど金堂の大修理が終わったばかりなんだっけ)
それになんと言っても千手観音は素晴らしいですな…これだけでも奈良へ足を延ばしてよかった。

次はそのまま南下して、薬師寺へ。修学旅行のときは、ものすごく学生受けする名物のお坊さんがいたなあ…現在はどうなのだろう。吉備内親王が建立したという東院堂の聖観音菩薩が美しかった。東塔は修理中ということで柵が巡らされていて残念。

そこから電車で大和西大寺まで戻り、てくてく歩いて平城宮跡へ。駅前でレンタサイクルなどできないかと思っていたのだけど、見当たらず…だんだん暗くなってきて、雨は降り出してくるし、遷都1300年祭会場の準備ということで、資料館は改装中だし、宮城跡全域で工事が行われているしでなんだかわけがわからなかったけど、とりあえず西から東へ横断。ン十年前に奈良に来ていたころにはこんなものなかったよなあ…(としみじみ思う)
資料館、見たかったなあ…(←幕末の前は飛鳥・奈良時代にはまっていたもので)公園内も、ちゃんと晴れた日に、サイクリングでもしながらまたじっくり巡ってみたいもんです。

ここでも来たバスに飛び乗ったら、またまたちょうど行きたかった近鉄奈良行き。今回は本当にバスについてはラッキー続き。時間が無駄にならなくて良かった。そのまま京都へ戻り、マッサージというお決まりコースをこなした後、東京に無事帰還。ひさびさの遠出で、それに今回はひと味違ったものをいっぱい見られて。今年もあっという間の3日間でありました…さて、また明日(今日?)から現実が…が、がんばるぞ(汗)

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2010年3月15日 (月)

「京の冬の旅」 -第4回山南忌-

■3月13日(土)

昨日土曜から京都へ。今回は以前から時間切れで行き損なっていた市内南部を主に探索。
まずは東福寺退耕庵へ。5年位前にここを訪れたときはもう夕暮れで、門前の「戊辰役殉難士菩提所」碑の写真を撮っただけだったのだけど、今回は「京の冬の旅」キャンペーンの一環で、普段見られないものがいっぱい特別公開中。真隠庭やお茶室「作夢軒」、ここは長州に縁の寺院ということで、品川弥二郎絡みの書など、いろいろ説明も詳しく聞けて、大満足。かなりマニアックなせいか?、人も少なかったし。

次は東福寺の境内、お庭、方丈なども見つつ、こちらも特別公開(初公開らしい)中の即宗院へ。こちらは薩摩、特に西郷さんに縁の深いところ。お庭もすばらしかったのだけど、裏山の「東征戦亡の碑」も見られて何とも貴重な体験でありました。西郷さんの揮毫だというでっかい碑が6基、薩摩から運ばれたという花崗岩の碑は傷みがけっこう激しく、傾いたり、補強の金具でがっちり固められたり痛々しいものが…でもまだ字はくっきりと読めていたけれど。

さらに一山越えて、次は泉涌寺へ。裏山の孝明天皇陵は以前お参りしたことがあるのだけど、お寺自体は時間切れで入れなかったので、再トライ。そしたらこちらもまたまた「京の冬の旅」キャンペーンで、天皇家縁の御座所、霊明殿が特別公開中。こちらは孝明天皇など代々の天皇の葬儀が行われたお寺で、御座所は現在も現役で皇室の休息所として使われているらしい…ありがたやありがたや。というわけで?、ここは見学のマナーが厳しかったです…

そしてバス通りへ向かう途中、戒光寺の前を通ったら…なんだかとんでもないことに。以前はお寺の方に伺ったところ、"どうぞご自由にお参りを"という感じだった御陵衛士の方々の墓域が、白木の柵でぐるっと覆いをされ、表からは直接見えないようになっている上、入口には現在命日にしか参拝が許されないこと、そしてそれもマナー違反が重なると不可となることなどがかなり激しい文体で書かれていて…ううむ何があったのか。なんだかすっかり悲しくなってしまった…

その後はバスで西に移動し、鳥羽伏見の戦い勃発時に"錦の御旗"が翻ったという東寺へ。たぶんここは修学旅行で訪ねたことはあったと思うのだけど、いかんせん記憶がない…こちらも何と「京の冬の旅」キャンペーンで各所が特別公開中。今回の"特別公開"は全部で14箇所ということなのだけど、半日でなんと5箇所も廻ってしまった…どうやら「龍馬伝」放映中ということで、"幕末"がテーマのひとつになっているのですな。う~ん意外なところで?恩恵が。

さて東寺ではまず小子房へ。こちらは直接幕末とは関係なさそうだけれども、各部屋を彩る堂本印象の襖絵が素晴らしかった…6部屋中5部屋が水墨画なのだけど、モノクロでありながら色彩豊か、そしていろいろ遊びも隠されていて…
閉館時間ぎりぎりだったので、なかなかじっくりとは味わえなかったのだけど、見られてよかった。

そして五重塔の内部も特別公開中。こちらも上品でバランスの取れた空間で、居るだけで心が洗われるような。
金堂、講堂は一般公開だけれども、これぞ"京都"の王道と言う感じ。仏像のスーパースター達に?圧倒されました。品といい、空気の重みといい、なかなか他では味わえない…幕末にはまっているとこういうものから遠ざかりがちなのだけど、やっぱりいいもんですな。

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■3月14日(日)

さて今日日曜はまず蹴上から南禅寺を抜けて、黒谷は金戒光明寺へ。以前訪れてはいるのだけど、今回はこちらも「京の冬の旅」キャンペーンで、御影堂や大方丈が特別公開中ということで、ぜひ見ておかなければと。御影堂では吉備真備ゆかりという吉備観音像が、姿といい顔といい、素晴らしかった…文殊菩薩も同じく上品なお顔で。

そして廊下でつながれた隣の大方丈では、松平容保さんが使われたと言う「謁見の間」、そして容保さん書の掛け軸などが公開中。ここで近藤さんや山南さんは容保公に拝謁したのだろうか…他にも会津藩絡みの武具や書なども展示中。

裏の「紫雲の庭」も散策できるはずだったのだけど、時間が無くて退散…ううん残念。
ちょうど来たバスに飛び乗り、壬生へ大移動、ぎりぎり前川邸でのご焼香に間に合う…

そうそう今回なんで京都に来ているかというと…主目的は第4回山南忌に参加することだったのですよ。いろいろ欲を出すと大変だ(汗)
そういえばなんと今回はこちらの壬生寺本堂も「京の冬の旅」キャンペーンで特別公開(初公開!)になっているのでありました。こちらは実は京都でただひとつという「律宗」のお寺なんだそうで。本尊は地蔵菩薩なのですな。平安時代の作だということだったけど、なるほど上品なたたずまいで…。なかなか見られないものなので、近所の方々も見学に来ているらしい?

光縁寺山南さんのお墓にお参りしたあと、1時からは壬生寺にて恒例のイベントが。今年はまたまた司太夫の舞や、山南さんについての講演、天然理心流の演武など。特別ゲストでNHKの方が招かれ「新選組!」当時のさんら出演者のエピソードや「龍馬伝」のオフレコ話なども。
今年も講堂に満杯の参加者で、盛会でありました…
来年の山南忌は3月13日(日)とのこと。また来年も無事来られますように。

散会後は、四条から三条あたりをぶらぶら。そうそう超遅れた話題かもしれないけれど、なんと池田屋跡は"池田屋"になっていた…いや本当にそういう名前の食事処に。(高幡不動の2号店???) う~ん、パチンコ屋よりはこちらのほうが本道かもしれないけど…(自分は多分入らないだろうな~)

日が暮れてからは三条をそのまま東へ行き、去年行きそこなった青蓮院のライトアップへ。こちらも襖絵などが素晴らしかったけれども、お庭のライトアップも幻想的で、なんともロマンチック。お庭に下りるとき、提灯を渡してもらえたのも、風流でよかった…しかし去年も思ったけど、一人で来るもんじゃないですな(笑)。

「京の冬の旅」を14箇所中7箇所めぐり、朝から夜まで京都を満悦して、2日目も終了。

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2010年2月 7日 (日)

過去・現在・未来。

チケットをいただいたので、今日は日本古武道演武大会を見に、幕末友達のYさんとともに武道館へ。弓あり、杖術あり、柔道あり、薙刀あり、はたは鎖鎌まで…!! 刀だけではなくありとあらゆるタイプの武道35流派が一堂に会して、いや壮観。マイナーな行事なのかと思っていたら(失礼!)客席はほぼ満杯でびっくり。時間の関係で最後まではいられなかったのだけど、最近めっきりデジタル世界に浸かっていたので、精神が洗われる思いでありました

しかし全国にこんなにいっぱい流派があるんだなあ…新選組や幕末関係におなじみな天然理心流・神道無念流・北辰一刀流柳生新陰流などなど。もう少し若かったら自分も何かやってみたかったなあ…現実的にはちょっと今無理だけど。やるんだったらシンプルな、木刀一本で黙々とやれるものがいいなあ。そういう意味では山南さんが修行していた小野派一刀流から派生したという、溝口派一刀流がとっても渋くて好みだったかも…

さて山南さんといえば?、先週はさんがあちこち出ずっぱりで。いろいろ笑かしてもらったけど、いや~すでになにか不思議な小動物を見る思いですな(笑) 個人的にヒットは「おしゃれイズム(←いじられ倒し)」と「ぼくらの時代(←人が変わったように確信的にしゃべっていた…)」かな

本では何年か"積読"してあった梅田望夫さんの ウェブ進化論 を読んだのをきっかけに、 Googleの正体 [牧野武文]、 グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 [夏野剛] をはじめ、「ウェブ進化論」続編のウェブ時代をゆくシリコンバレー精神  [梅田望夫]、 フューチャリスト宣言 [梅田望夫/茂木健一郎] などWeb、関係書籍を何冊か。

ひさびさに自分の細胞が活性化していくような、自分の中に変化の種が生まれたような、刺激的な内容でありました。
けどううむ、頭ではたしかに今とってもおもしろい時代だということは理解できるのだけど、心からネットの"あちら側"を完全に信用するのにはまだまだ時間がかかりそう…以前"あちら側"に置いていたデータを3ヶ月アクセスしなかっただけで抹消されたことがあるし…それまで何年かかけて蓄積したものがパア。さらに仕事関係でも、つい最近、協力関係にあったサードパーティーが倒産し、一夜にしていろんなWebサービスが掻き消えたし。Googleが一夜にして気を変えないと誰が保証してくれるのか… "無料(ただ)ほど怖いものは無い"っていうのが染み付いた世代なので。どうしても"オプティミスト"になるには程遠い…2、3年前に較べたら大分"覚醒"してるとは思うけど
でも5年後にはそんな自分を笑えるようになっていたいとは思います、うん

その他、またまた佐々木譲さんの 廃墟に乞う も。こういう閉じた?空間の中での連作という形態は、本能的に大好物で、ひきつづきこういうのを読みたいっす

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2010年1月25日 (月)

かすみがうら・石岡

昨日、日曜はかすみがうら郷土資料館に かすみがうら市の幕末群像 -新選組・天狗党の人物列伝- を見に行きました。スペース的にはこじんまりと、でも中身はぎっしり濃く…天狗党では竹内百太郎・太宰清右衛門・岩谷敬一郎・服部本英・宮元中務・宮元主馬之介それに藤田小四郎などの書簡や書、画などの史料がところ狭しと並んでおりました。
この辺りは霞ヶ浦の西側に張り出した半島のようなところで、昔は出島地域と言って水戸藩の南端にあたったそうな。小川や玉造などの郷校も近く(上記の人たちも実際ここで教育に関わっていた人たちが多い)、江戸への通り道でもあったことで、尊皇攘夷思想が熟成されていったらしい…

そして今はかすみがうら市の一部となった志筑出身の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟についても天狗党以上の熱意で?展示されておりました…おなじみの甲子太郎さんの肖像画や書簡、それに「残し置く言の葉草」も。なぜか展示室には「新選組!」のメインテーマがくりかえしくりかえしくりかえし流れていたのだけど…(これは甲子太郎さんとしてはいかがなものか)

資料館はなぜか天守閣の形をしていて???…でもてっぺんから眺める霞ヶ浦はきらきらと、気持ちよかった…

その後はかすみがうら市の反対側、伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟の出身地・志筑へとドライブ。茨城の一般道は、適度に緩やかで、起伏もあって、まさに日本の懐かしい風景の連続。天気も良く、気分は最高…このあたりはかすみがうら市と石岡市が入り組んでいて、出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったりのくりかえし(←一割増し?)。石岡市街をかすめ、またかすみがうら市に入ってしばらく上るとようやく志筑に

目的地の志筑陣屋跡は現在志筑小学校となっていて、メインストリート?からは少し上がった高台あり、裏手にはおそらく土塁跡だろうと思われる傾斜も。メインストリートのほうにはいまだに板塀が巡らされた大きなお家がいっぱいで、いまだに一種独特の雰囲気がかもし出されておりました…以前から来たくてたまらず、陣屋跡の図面など見て妄想し?、実際来てみたら想像以上にいいところだったので大満足。甲子太郎さんたちのお父さん・忠明さんもこの辺りをうろうろしていたのだろうか…とまたしばし妄想

妄想後はまた市境?を越え、こんどは石岡市街へ。こちらも今は小学校となっている石岡(当時は府中)の陣屋跡にある民俗資料館へ(資料館の横には以前小学校の校門になっていたという陣屋門がどどんと)。こちらの関心はどちらかというとこの敷地での発掘調査が進む"国衙"跡のほうがメイン、という感じではあったけど、一部ここ石岡での天狗党についての展示も

ここでいろいろ教えていただき、次は藤田小四郎らが筑波山へ赴く前に決起・祈願したという鈴ノ宮稲荷、そしてその隣の、小四郎が定宿にしていたという新地八軒・紀州屋跡へ。あまりにも目立たないので1回素通りしてしまった…ほんとにこんな狭いところで大勢が決起したんだろうかと思うくらい細長い敷地。昔は賑わっていたはずの通りも今は1本北の通りがメインストリートとなり、一方通行のひっそりした商店街という雰囲気でありました

ここらで日も落ちてきたので締めくくりに鈴木三樹三郎さんのお墓のある東耀寺へ。こちらは以前ツアーで連れてきていただいたことがあるけれども、今回は自力で。結構記憶は確かなもので、なんとかお墓に辿り着きお参り。しかし、誰もいない夕暮れのお墓をずんずん歩けるようになってしまった自分が怖い…

というわけで以前から足を運びたかった志筑にも行かれたし、けっこう満足…な1日だったのだけど、いただいてきた資料を見ると、また見て見たいところが満載…また季節が良くなったら出かけてみたいもんです…欲望は果てしなく?

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2010年1月12日 (火)

半年ぶり?(汗)

ううむなんと半年以上怠けてしまいましたね…
もう誰も来てくれていないかもしれないですが、遅ればせながらあけましておめでとうございます。
今年はもうちょっとはげみます…

去年は12月31日の18:00まで仕事でした…
そして年明け4日に仕事始め。
相変わらず残業続きの日々ですが、前回の日記以降、水戸には講演会など聴きに、3回行きました。
県立歴史館の「水戸藩歴史講座」、
8月23日(日) 「水戸藩成立三つの謎 -石高・官位・定府-」
10月3日(土) 「斉昭と慶篤」
10月17日(土) 「奥女中のみた幕末の水戸藩」などなど。

日野にもまあ2ヶ月に1回は行ってるんじゃないかと思います。昨日も行きましたが。
一昨日土曜は本業関係で7時間のセミナーに参加。350人くらいが集まって大盛況だったけど、数字やExcelがらみの話が多くて最後の頃には朦朧と…

最近はそんな感じで本業のほうがいろいろ山積みで、なかなか趣味のほうは進みませんが、あれ以降LORD OF THE RINGSTHE TWO TOWERS THE RETURN OF THE KING もついに読み終わりました~(1巻目に7年もかけたことを考えるとびっくり)。さらに原書ではアガサ・クリスティーなども少々。そして Apollo 13 [Jim Lovell/Jeffrey Kluger] も読了。ついでに現在 The Right Stuff [Tom Wolfe] を読書中。

疲れているときは相変わらずミステリー関係を。現在は佐々木譲さんにめっきりはまってます。昔「マルティン・ベック シリーズ」が大好きだったこともあって、やっぱりこういう空気はたまらない?

江戸・幕末関係はいろいろ買い込んだり読んだりもしてますが…(汗)
佐竹家関係でいくつか…あと佐賀藩鍋島家関係とか。
大物では骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと [鈴木尚] など。う~んえぐえぐ。こんなものを出版していいんでしょうか…でも見てみたかったな昔の"貴族顔"。

現在"積読"になっているけど早く読みたいのがお台場 品川台場の設計・構造・機能 [淺川道夫] ←図面がたまらんです…また天気のいい日に写真撮りに行きたい。そういえば 評伝江川太郎左衛門―幕末・海防に奔走した韮山代官の軌跡 [加来耕三] もすっかり"積読"になってるな…

そうそう「坂の上の雲」もドラマですっかりはまって、原作一気に読みました…関連本も何冊か。明治は苦手だったけど、ううむおもしろかった…今こういう形で日本があるのはまったく奇跡ですな(汗)

新書関係もそれなりにつまみ読みしてるんですが、細かいものはまた思い出したら整理して追々書きます…
ドラマもそれなりに各種見てます…
とりあえず今年もどうぞよろしくです。

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2009年6月 9日 (火)

またもや水戸。

■6月6日(土)

講演「徳川慶喜の懐刀と呼ばれた男 原市之進」を聴きに、車で水戸は茨城県立歴史館へ。
全く走らないうちに最初の車検を迎えてしまって、いいかげん車がかわいそうになってきたこともあり…また市内や周辺も見て廻るつもりで、1泊旅行を決行

首都高で事故渋滞に合い、東京を出るまでに1時間半くらいかかってしまったけど、なんとか講演会開始に間に合う…講師は歴史館の研究員・沼澤佳子さんで、以前ふるさと文庫の「原市之進 -徳川慶喜のブレーン-」を書かれた方でもあり。原市之進については興味があってもわからないことが多いので、なかなか貴重な機会ということもあり、200人定員の会場は大盛況

そしてやはり思い(愛?)が強い分、お話も、渡された史料も時間のわりに膨大で、なかなかお話のスピードに付いていくのが難しく…(笑) 会場のあちこちでバサバサバサ、バサバサバサと史料の冊子をめくったり、取り落としたりという音が鳴り続けておりました
やはり私もとても時間内に消化できなかったので(笑)、ふるさと文庫とともに、史料はこれから楽しみに読み返す予定…

そして展示室では絵図 -城下町と藩領-展が開催中。こちらも私の大好きな、古地図がわんさかと。主に茨城県もしくは水戸藩領内のものが集められていて、水戸市内の江戸初期や幕末の武家屋敷・それに一部町家の並び、茨城全域の村々の配置などがかなり詳しく書き込まれたものも。う~ん、江戸時代のものとは言え、後半になるとかなりディテールがリアルなものが多く、明治のものかと見まごうようなものまであってびっくり。1眼鏡も無料で貸りられ、地図の隅々まで詳しく見られるのがうれしい…一生懸命見すぎて、ちょっと酔ってしまったけど(笑)

中には志筑藩の藩領全域図や陣屋の配置図も…伊東甲子太郎さんがらみで以前近くまで行きながら、志筑藩領や陣屋跡までは行けなかったりしたこともあったけど。この辺りを歩いていたんだろうかとか、妄想しながらちょっとにんまり

以前史料のことでいろいろお世話になった永井先生も会場にいらして、少しお話や解説までしていただけて、恐縮…
渋滞に負けずに出てきてよかった

その後は駅前に出て、夕食してマッサージでも…と思っていたら、なんと行き着け?のマッサージ店が潰れていた…しょ~っく。そして駅ビルに入っているK書店は改装中でClose、近くの本店にも足を延ばしたら、なんと水戸の歴史専門書を扱っている3階だけ改装中でこちらもClose(涙) あうう。ここに来てついてね~と思ったら、その後紹介されていった別のマッサージ店が、すごく腕が良くて、結果的に大ラッキーだった?

誕生日だったので、ささやかながらケーキを食べお祝いし(いやもう全然めでたくないが~)、そして到着したホテルは、今回はじめての場所だったけど、なかなか居心地も良く。ひさびさに爆睡。まあなかなかなバースデーだったのでは…

■6月7日(日)

予想をはるかに上回る晴天。まずはホテル近くの、家の墓所へ。う~んますます周りが立派な新しいお墓で埋まってきて、やるせないな~。みなさん、決してここは無縁じゃないですからね。ちゃんと子孫がいるんですからね。ううう曾ばあさんの墓はついに茂みに埋没してしまって、墓石が見えなくなってしまったが(涙)

また来るからねと言い残し、今度は西へ、以前行き損なっていた大洗の願入寺へ。ここは元治元年に挙兵した天狗党に対抗して、諸生たちが決起したところ。天狗党と諸生党の戦いで本堂は焼けてしまって、再建まではその後100年近くかかったとか…。今は緑に溢れた静かなたたずまいだけど。もともと光圀公や水戸徳川家とも縁が深く、黄門様関係の資料が、境内の一角に移築されているお堂に展示されておりました。内部の柱には天狗党がつけたという刀傷も。
諸生党に関する話はどこにもなかったな…やはり思い出したくない記憶なんだろうか?

その後は橋を渡って対岸の那珂湊へ。また反射炉跡ふるさと懐古館を見たあと、ちょっと観光気分でおさかな市場へ………ううむ。日曜のお昼に行く場所じゃなかった(笑) 駐車場に入るにも、食堂に入るにも大渋滞。食事はあきらめ、ウニの貝焼きだけ屋台でいただく。美味だったのでこれで満足してまた水戸方面へ

そして中丸川沿いで、前回何度往復しても発見できなかった水車場跡の史跡をついに発見~!! 細~い道を1本入った民家の庭先だった…いや、発見してみればなんてことはない?ところだったけど。辺りには川や田んぼが広がって、当時もこんな感じだったのかな、と…ずっと心残りだったので、よかったよかった

心置きなく、また市内へ戻り、祇園寺へ。ひさびさに訪ねたら、諸生党の碑にも、朝比奈弥太郎さんや市川三左衛門さんのお墓にも、説明の立て札が建てられておりました…諸生党の本なども出たし、訪ねて来る人が増えたんだろうか。喜ぶべきことなのか、いやなんとなく情緒がなくなったような?(笑)

偕楽園でお昼を食べ、ひさびさに好文亭にも入ってみる。風が吹き抜けて、気持ちよかった

そして今回の総仕上げ?、6号線を走り長岡宿跡へ。前回は良く場所がわからず、ちょっと北へ外してしまっていたので、今回は慎重に南下…そしたら本陣(脇本陣?)だったという、木村家住宅が左側に。立派な門構え、きれいな茅葺き屋根が保たれていて、内部も豪勢というよりはやはり水戸らしく?簡素でシンプルな感じ。ちょうど御子孫の方がいらして(最初はまったくわからず、ボランティアの方かと…)、あつかましく長岡宿のことなど根掘り葉掘り聞かせていただく…そして、桜田門外の変の水戸浪士たちの毛塚が近くにあると聞き、いまいちわかりにくい場所ということで、わざわざ案内までしていただいいてしまった…世が世なら、たぶん名主さん?という方に…(大恐縮) どうもありがとうございました(汗)
(↑いつもいらっしゃるというわけではなく、本当にたまたまいらしたらしい)
もしかしたらうちの先祖も、こうして何かご厄介をかけたりしたこともあったのでは…などと想像してみる(笑)

筑波山が見渡せるという高台のお社は、また格別の雰囲気で。(もともと本陣の側にあったものを明治になってから移築したらしい) 宿場の雰囲気をちょっとでも味わえたら、くらいのつもりで訪ねたら、おかげさまで思いがけずとっても実りのある締めくくりに…

また帰りの高速では何度も事故渋滞に巻き込まれたけど、そんなことは屁でもない?充実した旅となりました。よかった

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