釜屋。
買ったままずっと積んであった吉村昭さん著・ 生麦事件 をようやく読了。「天狗騒乱」もそうだったけど、これも主人公と言えるような登場人物は居ず。しいて言えば「薩摩藩」がそれにあたるのだろうか…それにセリフを発するシーンは皆無に近かったような気がするけど 小松帯刀 がかなり頻繁に登場。これだけ小松が登場する本に出会ったのは初めてかも
読む前は単に「生麦事件」の顛末だけのお話なのかと思っていたけど、事件を発端として薩英戦争を経、たった6年の間に藩の方針を180度転換し幕府を倒した幕末薩摩藩の「外交」や発想の「転換」に話が広がり、さすがに読み応え有り… 島津久光 に対する印象もまったく変わったし。「洋モノ」を取り入れる英断を下したり、家臣に任せるところは任せ、意見を入れて自分と反りの合わない西郷を復帰させたり…(司馬遼さんの小説だけ読んでいると久光さんの印象はかなり悪い(笑))
先日品川に行ったのは、桜田門外事件の水戸浪士たちが泊まったという 稲葉屋 や 相模屋 跡を前々から見たかったというのもあるのだけど、この「生麦事件」で久光さんが事件遭遇直前に 釜屋 で休んだと書かれていたことも大きい…
「釜屋」はご存知のとおり鳥羽伏見戦後、品川に上陸した新選組が滞在していたところでもあるのだけど
それにしても「釜屋」はよくわからないところだなあ…島津久光のような大名家の人間が立ち寄るかと思えば、旗本の用人格のお供だったとはいえ、名主クラスの 富澤忠右衛門(政恕) さんが昼食をとっていたり…さらには「立場茶屋」ということで客を宿泊させてはいけなかったらしいのに新選組を長期滞在させ(引き揚げ者が多すぎて泊めざるを得なかったのかもしれないけど)、さらにはやはり名主クラスの 彦五郎 さんたちも泊まっている…?
ちなみに千人同心である 井上松五郎 さんがやはり将軍のお供で品川を通ったときには2度とも歩行新宿の端の端、しかも陸側の店で昼食をとっている…(海側のほうが良い店が多かったらしい) ←質素で派手なことを嫌う性格だったのか、単に渋ちんだったのか
相模屋/稲葉屋も今はマンションや店舗ビルになりまったく面影無く…やはり吉村昭さん著・ 桜田門外ノ変 では、井伊大老を倒した当日、水戸浪士たちの現場リーダーだった 関鉄之介 がふたたび品川に戻り、雪の降り積もる浜に停まった船の中で手紙を書くというシーンがあり、このお話のなかでもっとも画的に美しく印象的なところなのだけど、やはり当時の浜のあたりもすっかり埋め立てられていて面影なし
※もっともこのシーンは吉村氏の創作らしく?、「桜田義挙録」に掲載の関の書簡には「薩摩邸に潜伏」と書かれているうえ、書簡をしたためているのは「向島」の船の中だったりする…(←これも信憑性はよくわからないけど)
でも表面的には変わってしまっているとは言え、道筋や道幅、浜へ降りる傾斜などは当時のままということだし、ところどころ当時の石垣なども残っていたり、そういう何気ないところに小さく感激して浸って帰ってきたけど(笑)
どちらにしてもお祭り真っ只中で、品川寺も釜屋跡も人波に隠れ見物どころではなかったので、またいずれゆっくり行ってみなきゃ~いかんですね
↑品川については27日朝、「Report18」ページにUp
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