しつこく水戸 [1]。
10/18/2007
生まれて初めて有給休暇というものが発生したので、2泊3日でまたまた水戸探訪へ。とは言っても今回は主に普段行かれない市外のスポットを車で廻ろうという計画
まずは一気に常陸太田の 西山荘 へ…ここは水戸光圀さんが隠居後に生活したところ。我が家の2代目とも縁の深いところなので、前々からぜひいちど訪ねてみたかったのだ
周囲はちょっと整備されすぎな気がしたけど、西山荘自体の内部は意外にもいまだ鬱蒼とした雰囲気が保たれていて、おまけにオフシーズンの平日ということもあってか他にあまり人も居ず、のんびりと空気を味わうことができて満足。ちょっと離れたところにある"助さん"のモデルとされている 佐々介三郎 さんの家があったという辺りへも足を延ばしたけど、その間誰にも会わず…しかしこんなに離れていたら、お仕えするのにかなり不便だったんじゃ…
そしてそこからまた少し北へにある、水戸徳川家の墓所・ 瑞龍山 へ。どうも観光地らしい雰囲気がないな、と思いながらやっとたどり着いてみたら、なんと現在非公開だった…が~ん。ガイドをよく読んでみたら、たしかに小さく"非公開"となっている…うううけっこう楽しみにしていたのに。もっと大きく書いておいてくれよ~(涙) でもとりあえず門と脇の番所をカメラに収め、今回はこれでよしとする…
たしか山川菊栄さんのお祖父さん・青山延寿さんは、徳川斉昭さんの月命日には毎月必ず水戸からここまで歩いて通っていたとのこと…往復50kmくらい??? ううむ昔の人はすごいなあ
ちょっとがっくりしながらまたまた市内へ戻り、助さんこと佐々介三郎さんのお墓がある 正宗寺 へ。田んぼの中にぽこっと木立と門が見え、なんともいい感じ。助さんのお墓は本堂の裏手の斜面にひっそりと。さらに登ったところにある広場には、水戸藩成立前にこのあたりを治めていた佐竹氏のお墓も…華美なところのまったくない、程よく枯れた雰囲気にちょっと和みつつ、次は市の中心部にある 郷土資料館 へ
ここ太田は元治元年の「天狗党の乱」のときに諸生党・幕軍側の拠点のひとつになったところでもあるので、もっとそちら関係の情報はないか期待していたのだけど(以前ちょっと史料を送っていただいたこともある)、どちらかというとここのメインの関心は佐竹氏のほうのようで…いや、佐竹氏の居城があったくらいなので、当然といえば当然なんだけど
でも元治元年の折の(幕軍側として戦った) 二本松藩士 らの墓が近くにあるということで、場所を教えていただきお参り。普通の住宅の裏にある小さな墓地に唐突にあってびっくら(教えてもらわないととても辿りつけなかったかも…)
その他、 久昌寺 裏の 義公廟 などを訪ね、日も暮れて来たので今回の拠点にするつもりの水戸市内のホテルへ…
そしたらこれがとんでもなかった…LAN回線は通じず、わざわざ持っていたノートPCはまったく役立たず(しくしく)…さらに部屋中にタバコの臭いが染み付いていて肺は痛くなってくるし、吐き気がこみ上げて来るし(あいにく満室で交換もできず) 文句を言ったらリセッシュを持ってきてくれたけど…(おいおい) 結局1時間ごとに吐き気と頭痛で目が覚め、リセッシュを部屋中に振りまいてごまかす、というひどい晩だった…(涙)
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コメント
おぉ。すけさんですか。
モデルがいることは知ってたけど、実際お墓とか聞くと実感がわきますね。
二本松の先には会津が…(笑)
そう思うと道はつながってる(当たり前ですが)イコール近い!という勘違いが…。
ホテル、災難でしたね。
ま、旅の思い出。ということで(フォローになってない?!)
投稿 ちにた♪ | 2007年10月22日 (月) 20:27
どもども
市内の常盤共有墓地には「格さん」のモデル
安積澹泊(覚兵衛)さんのお墓もありますよん(笑)
水戸市の近くには「福島藩士の墓」があるらしいんだけど
どうしてもたどり着けなかった…
(福島藩って別なんだよね?)
「宇都宮藩士の墓」もあるそうな
投稿 とまと | 2007年10月23日 (火) 00:31
へぇ。格さんもちゃんといるのね。
じゃぁ、風車の弥七とか、お銀とか…は、いないよね(笑)
福島藩と言うのは上杉家が米沢にいた頃、その一部だったのですが綱勝の時代に御取り潰しの危機にあい減封されたところです。
その後幕府直轄になり、いろいろ領主が変わり最終的には譜代の板倉家が領主となりましたとさ。
そういえば世良修蔵暗殺の引き金になったあの手紙、福島藩士が仙台藩に届けたし、何より暗殺は福島藩の領地だったんだよね。
ちなみに御取り潰しの危機を救ったのが会津藩の祖、保科正之。上杉家に養子に行って後を継いだのが吉良上野介の息子です。…おもしろいよねvv
ながなが失礼しましたぁ~。
投稿 ちにた♪ | 2007年10月23日 (火) 23:18
うにゃ
末期養子だったために削られちゃったってやつかな?
たしか上杉家を危うくしないために
実父を見捨てるはめになったんだっけか?
(最初にはまった大河が「元禄太平記」↑(笑))
投稿 とまと | 2007年10月25日 (木) 01:38