じわじわ妄想。
日曜は日野宿本陣文書検討会例会へ。いつものように彦五郎さん日記を読んだり、いろいろな調査報告があったり。なんだか前日の興奮冷めやらぬまま、ちょっと調子に乗ってしまったかも…反省
例会後はまたまたファミレスにて幕末トークで盛り上がり…そして帰宅後はひきつづき、今回見つかった冊子の整理など。拝領の盃の由来もどんなものなのだろうといろいろ本をパラパラしていたら、「水戸市史」にその天保14年5月22日の記事が。どうやら斉昭さんは従来の「神発流」砲術に、「高島流」などの洋式砲術を取り入れた大極陣なる新式の陣形を考案して、その訓練をさせていたらしい…そして5月22日にその成果を御前披露というはこびになったそうな
盃と一緒の箱に、鉄砲の的(弾痕付き)と思われるものが何枚か納められていたので、何か銃に関係したことだとは思っていたのだけど。そのときうちの9代目は「先手同心頭」という役職だったので、たぶん銃隊の指揮にあたり、代表してお褒めに預かったものらしい…? というわけで、もしかしたら的に弾を的中させたのは本人ではないかもしれないけど(笑)、でも今回砲術に関するマニュアルのようなものも一緒に見つかったので、おそらく彼なりに一生懸命任務にはげんだのであろう…
この翌年には斉昭さんは幕府の不興を買って蟄居謹慎、うちの9代目も天狗党の某"大物"のせいで蟄居謹慎、知行召し上げという目に遭うのだけど、もしかしたら謹慎中にもこの盃を見ながら再起を誓っていたかも…などと思うと泣ける?(←も、妄想が)
今回いろいろ調べた中で、その9代目の舅に当たる人が東軍流という古くからの剣の流派の達人だったということも判明。もしかしたら9代目もそうして武芸にはげんでいた人なのかも…? (水戸といえば「神道無念流」なのかと思っていたけれど、そういうのはかなり"新興"の流派で、やはり"天狗"側の人間が好んだものらしい)
そして他の冊子の束の中から、"10代目"がつけていたと思われる元治2年の日誌も発見。「水府系纂」でも前年の元治元年までの動向しかわかっていなかったので、これは私的にものすご~くありがたい貴重な史料…!! 毎月の勤務状況やら、水戸と江戸の行き来やら、新しい仕事に就いたことなどが手短ながら几帳面に書かれている…ことが推察される(←ううう半分くらい判読できん(涙)) この人は前述の通り父親が蟄居謹慎などという不名誉な目に遭っているので、その分一生懸命任務にはげんでいたんだろうなあ(このころはまだ十代半ばだと思われるのだが)…"当番"という文字が冊子の見開きいっぱいに並んでいるのがなんともいじらしい?
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コメント
例会での新発見!報告ご苦労さまでした。
本格調査続報期待しております。
今後も水戸関係は宜しくお願いいたします。
水戸藩附家老、中山信吉は北条氏照家臣、中山勘解由家範の次男で駿府城大火の際には、家康と鶴千代(水戸藩主、頼房)を救出したそうです。八王子と水戸は多くの人的交流があったらしい。
アフター例会もお疲れさまでした♪
別働隊はT家の観梅などで21時過ぎまで・・・(汗)
投稿 munn | 2008年2月12日 (火) 02:14
どうもありがとうございます
おつかれさまでした
中山氏のことは実はまだあまりよく知らないのですが
うちなども中山家家臣との縁組などもあったようです
いずれ中山家関係も調べてみたいと思いますが
投稿 とまと | 2008年2月13日 (水) 02:50