さて今は唐突に大津
今朝から草津宿など東海道を探索…と言いつつこの一週間ひどい風邪っぴきでもうへろへろだったので(でもその間に家族ふたり分の確定申告は済ませたぞ)、予習どころではなくどこをどう見ていいものやら。とりあえず草津駅からスタート…したものの、地元の人に「中山道」はどこか聞いてみたら、3人が3人とも知らなかった…(あとから考えるとまさにそこが中山道の真上だったのだけど) 貴重な観光資源だというのに~しかし興味がないとこんなものやね(涙)
しばらく行くと草津宿のはずれの東海道と中山道の分岐点(こちらから見ると合流点)が。あうう山南さんはここまで辿りつけなかったわけですな(涙) そのすぐそばには草津に二軒あったという本陣のうちの一軒・七左衛門本陣が公開中。ううむさすがに二街道の合流点の宿だけあって、何もかもが豪華で規模がでかい…部屋数も多いし台所も広いし、そして上段の間の豪奢なこと。ここにはかの有名な?、土方/斎藤/伊東/藤堂御一行様の名前が書かれた宿帳(大福帳)も展示されとります(時節柄?、「篤姫」さんが江戸へ上ったときの名簿も…)
"帰り"はここまで辿り着けなかったとはいえ、山南さんはもちろん"行き"に「浪士組」の一員としてここを通ったわけで(ここで村上俊五郎とトラブったという話も…)、そんなミーハー目線で(ところどころは電車を乗り継ぎながら)しばし東海道を大津方面へ歩く。しかし昔ながらの格子窓が残っている率がものすごく高いなあ…途中から雲も晴れて絶好の散策日和となり気分よし
瀬田川を渡ると琵琶湖畔にせり出して、慶応元年の将軍・家茂暗殺未遂?事件で有名な膳所城跡が。現在は公園になっていて門だけがちんまり残っているのだけど、水際からは湖面越しに遠くの山々や草津方面も見渡せて、往時はさぞかし美しいお城だったんだろうなあ
さてなぜこの"膳所"に引っかかっているかというと、藩主・本多家の紋がなんと山南さんと同じ右離れ三つ葉立ち葵なのですね~
…というわけで門の軒先の瓦にもしっかりと「立ち葵」が。前述の草津宿本陣の釘隠しにも「右離れ三つ葉立ち葵」の紋が使われていたので由来を聞いてみたら、やはりこのあたりが膳所藩の管轄だったからということらしい? (ちなみに"ほんだ"違いだけど、谷保の本田覚庵さんの紋も「右離れ三つ葉立ち葵」だったりしますな)
膳所城近くの東海道沿いには本多家の菩提寺・縁心寺があって、ここのお寺の紋も「右離れ三つ葉立ち葵」、本多家墓所の石造りの門扉?にも「右離れ三つ葉立ち葵」…いや、単に立ち葵づくしでちょっとうれしかっただけ?(笑)
そして途中は飛ばしていよいよ今回のメイン?、大津の宿へ。ここの本陣はすでに姿かたちもなく、ただ碑が残っているだけなのだけど。前を走る道は京都のほうへ向かってゆるやかな右カーブの上り坂…ううんこのあたりで「沖田君、ここだ!」と立ち上がったのか~??? しばしひたる…うるうる(←いや、本当にここまで来たのかどうかもわからんが(笑))
本当はここから京都まで歩いてみたいところだけど、日も陰ってきたので大津市歴史博物館のほうへ。常設展示場には大津宿の一部の復元模型も置かれていたけど、せっかく期待して行ったわりには、いまひとつマニア度が足らないような…? 特に東海道に関する資料の販売もしていないようだし
まあここは戦国時代や大津宮のあたりに関する興味のほうが強いところだろうし、しかたのないことかもしれないけど…
その大津宮については昔、飛鳥奈良時代にはまっていたこともあって前々からいつかは訪ねてみたいと思っていたポイントではあるのだけど(なんせ大津皇子の育った地)…しかしなんといっても時間と頭と体力が足らない~!! 瀬田の唐橋も行ってみたいけど…(大海人皇子が僧形になってここから吉野へ逃れ、「虎を野に放った」…と言われたところだった…ような(←うろおぼえ~)) ここから壬申の乱が始まって終わったわけですが
※↑吉野へ逃れるとき渡ったのは宇治橋でした~ううむ我ながらいいかげん(汗) しかし高市皇子や大津皇子の脱出行はここかららしい?
…というわけで幕末と飛鳥奈良時代が脳内で低レベルな争いをしている関西1日目なのでありました
締めくくりに夕暮れの園城寺(三井寺)の一部をそぞろ歩き、さて明日は京都
(ちなみに今回のホテルはばっちり禁煙で、おまけにLANもこうしてスムーズに使えてすばらしい~)
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