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2008年3月24日 (月)

フクザツカイキ。

昨日の日曜は 徳川斉昭を学ぶ 最終回を聴きに水戸へ。ちょうど会場の茨城県立歴史館では 御三卿 一橋徳川家 展の最終日だったので駆け込みで拝見。歴代の当主について流れもわかりやすく配置されているし、解説も程よく読みやすくて助かった…ここの一橋家所蔵品ではいつも目貫・小柄・笄・鐔などの刀関連の細工物がすばらしくて大好きなのだけど、それも細部まで舐めるように見られるように展示されていてうれしい

装束関係や、蒔絵などの調度品もすばらしかったし。変わり兜?と言われるヘンな形の兜のコレクションもおもしろかった…「イカ?」「魚のしっぽ…??」「うさぎ???」「ぐー(拳固)???」みたいなモノが頭の上に乗っかって??? 「ベルクカッツェ」は絶対これから採ったんじゃないか???みたいなものも…(古いな)

さて講座のほうも最終回ということで大入り満員。今回は主にやはりクライマックス?の「桜田門外の変」のころの情勢について…当時の陰湿な情報戦の様子も垣間見えて恐ろしい
最終回まで毎回とてもわかりやすく整理された内容を聴けて、幕末の水戸藩情勢についてはおかげさまで以前より何倍も何倍もスムーズになった…(はず?)

斉昭さんという"人格"についても、隅から隅まで理解できた…かというとますますわからなくなったような気もするし?(笑) やっぱり斉昭さんにかぎらず人は局面局面で変わって行くし、同時に相反することを考えていたりするし、簡単には定義できないんだなあ…ということでありました(あの慶喜さんの父上だしな)

今回はさらに輪をかけて姿のわかりにくい十代・慶篤さんの、天狗党に対する過激な態度も垣間見えたけど、今後この人についてももっとスポットが当たらないものか…うちの10代目はどうやら最後のころこの人の側近くにいたらしいということもあり?、どんな人だったのかかなり興味有り…今後もっと掘り下げられていくといいなあ

さてそして家にたどり着いて見た 篤姫 は…今回は以前の養女に入る回と内容がかぶりぎみだったし、さすがにちょっとどのキャラも未練が強すぎたのでは…??? ううむしかしいよいよ家祥さんが近づいてきましたな

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2008年3月23日 (日)

開花。

ううむフィギュア世界選手権、男子も最後の最後まですごかった…こうして見ると、最初の失敗に動じなかった昨日の浅田選手のすごさをあらためて感じるな~。高橋選手は残念だったけど、今回優勝のバトルくんも去年のフリーはたしかズタボロだったし。来シーズンにまた期待~
そのバトルくん優勝は、もううれしい限り…ランビエールのもっといいところも見たかったけど、なんとなく上位の選手にあった"ギリギリ"感が無く、"現状維持でいいか"的な雰囲気だったかなあ…?

さて昨日(土曜)は八王子市郷土資料館で開催中の 八王子の天然理心流 展を見に。以前にも来たことがあったような気がしていたのだけど、よく考えたら八王子の郷土資料館ははじめてなのでありました…展示は1室にまとまって、思ったよりこぢんまりと。以前に八王子方面の天然理心流や千人同心の関連スポットを巡る濃~いツアーに参加させていただいていたおかげで、比較的土地勘もあり、人名にもなじみがあったので、わりとすんなりと内容が頭に入ってきたぞ
オタク心に溢れた?図録も買いこんできたので、これからまたゆっくり読んで復習を…

資料館まではバスの便がよくわからず、タクシーもいなかったし天気もよかったので、結局片道15分ほど、ゆるゆると往復を歩いてしまった…だいぶ不安の無くなっていた足だけど、またちょっと痛み復活?
…ということで次に向かった日野の新選組ふるさと歴史館には駅前から初めてバスに乗ってみる。う~んこんなに楽だったとは(笑)

こちらの資料館では 新選組 戊辰戦争のなかで 展をようやく拝見。う~ん全体的にやっぱり照明が暗すぎるのかなあ…? 今回は特に見づらかった気が。そしてスペースのわりにいろいろ詰め込み過ぎでは…"新史料"もありながら、全体的になんとなくの表層的なダイジェスト感が
こういうテーマなら、たとえば「鳥羽伏見」とか「甲州戦」とか、それだけで全スペースを使ってじっくり掘り下げた展示が見てみたいかなあ
相馬主計の"手記"は、読み下し文がそのうち出るとか出ないとか?

そして本では文春新書・ 旗本婦人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記 読了。タイトル通り、旗本・井関家の奥さんが将軍家近くに仕える息子達から入ってくる情報などをもとに、老後に書き溜めたという日記についてなのだけど。今まで知らなかったけど、いろいろ史料としても引用されていて、価値の高いものらしい…(この新書自体も去年の11月に出ていたらしいのだけど、全然知らなんだ)

たしかにここに引用されている内容を見ると、ものすごく冷静な分析と批評眼で書かれていて、史料として重宝されるのもうなずける…それに当時の女性でありながら、どうやら無駄な法要や縁起かつぎ、迷信などはまったくバカバカしいことと思っていたらしいし、人間的にもなかなか好みのタイプっぽい(笑)?

息子や孫がお城の情報を(いくら母/祖母とは言え、当時の女性に)まったく日をおかずに報告しているというのも驚きなのだけど、きっとそれに対する意見や批評が聞くに値するような女性だったんだろうなあ
ううむ機会があったら原文も見てみたい

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2008年3月22日 (土)

ガッツだぜ。

フィギュア世界選手権女子、ううっすごかった…昔有名な某"襲撃事件"の後のオリンピックで、フリーを滑り終えたナンシー・ケリガンに対してコーチが、「You were so gutsy...!!」(←うろおぼえ~)と迎えたのを聞いて、「ううむやっぱアメリカ人のメンタリティは違う…」と思ったものだけど(当時は今より"優雅さ"とか"芸術性"が重視されていたような)…やっぱりフィギュアってガッツィな競技なんだな~と今日はあらためて思い知りましたさ(笑) 多少の失敗や怪我には動じないド根性が勝負の分かれ目でありました…

それにしても中野選手の得点には納得いかんなあ…でも順位はどうでもいいの好きだから
高橋選手は…ううむ微妙。これはフリーで4回転を2回くらい決めないとむずかしいのか…??? SPトップはやっぱり好きなバトルくんなのでフクザツ…(笑)

さて三谷さんの「ありふれた生活6」 役者気取り が出ていたので購入/読了。あいかわらずの人間観察の鋭さはすごいっす。今回は「新選組!」関係者?の登場度数は低いような気がするけど、そんななか巻末の生瀬さんのインタビューに対する三谷さんのコメントが爆笑

ほかにもいびきについての話題なども。口を閉じれば止まるいびきっていいなあ…私の場合、口を閉じた状態で、鼻腔と口腔の境目の辺りが振動していびきを発生しているらしいので(いやもちろん自分で聞けないので詳しくはわからないのだけど)、これはもう手術でもするしかないんだろうか…

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2008年3月17日 (月)

開幕。

F1開幕。いや~"ナカジマ"とか"ピケ"とか聞くと、私の世代はもうそれだけで沸き立つモノがありますが(笑)
レース自体は期待していた面々が早々に倒れて行きガックリだったけど、トラコン禁止というのはいいですな~がぜんおもしろくなってきた

篤姫 は、今回、そして来週も泣けそうだ…それに回を追うごとに深くなる阿部さんの眉間のシワがたまらん?(笑) 今後原作のような亡くなり方をするのだろうか~???(あまり"ホームドラマ"向きではなさそうな) 堺・家祥さんに関しては今回はちょっと中継ぎっぽかったけど。いよいよ江戸が近づいてきましたな…しかし"幕末ホームドラマ""ラブコメ"と銘打ちながら?、西郷・大久保の、斉彬さんや"攘夷"に対する微妙な温度の違いもちゃんと見えるあたりもうまいなあ

そういえばたしか以前読んだ「幕末の薩摩」によると、薩摩藩は家督を継ぐ前の跡とりや次男・三男以降にも仕事と禄を与えたりしていたらしいし(ってことは嫁とりも普通にできるのか?)、恵まれてるのぉ…それは人材も育つわな。やっぱ南国なればの余裕なのか
水戸藩などでは、三男以降は"間引き"の危機だったとも…???
[↑※さらに後日追記] 弘道館ができてからは、水戸藩でも試験の結果次第で次男、三男以降も禄を与えられる機会ができたとか~

足のほうは、週末2日間しっかり休んでもう大丈夫だろうと調子に乗って歩いたら、やっぱり帰り道に痛み再発…しぶといしくしく

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2008年3月15日 (土)

アフターマス。

有休中に確定申告が終わらず(しくしく)結局木曜に半休をもらってようやく終了。はあ…。

そして大津の旅の終わりごろから徐々に足が痛み出し、ついに耐えきれないくらいになってきたので、半休ついでに?生まれて初めて近所の整形外科の門をくぐる…患部に触っても痛みはないし、ただ歩いてる時にだけ足裏に激痛が走るので骨折ではないだろうとは思っていたのだけど。しっかりレントゲンを撮られ、待たされた末老先生の言うことには、「ヒビもないし単なる筋肉痛だね~こりゃ」「普段歩いてないのに急に歩くからだよ」 (足をしげしげと見ながら→)「偏平足が原因だな、こりゃ」(初対面で言うなよ) そういえば昔子供の頃矯正用の中敷を履いてましたよふふーん

結局湿布と痛み止めを処方…といういままでやっていた自己流の治療とあまり差異のない結果に。いまのところあんまり改善がない…ような気が。まあ年を考えろってことなのかやっぱり(しくしく)

とか言いつつ今週は今回買いこんで来た 近江・大津になぜ都は営まれたのか/ 宿と街道・草津/ 戦国の大津 /大津 歴史と文化 などを読む。ううんどの時代もおもしろいなあ…こうしてみるとあらためて大津って濃いスポットだったのね
「戦国の大津」では膳所城下についてや藩の立ち葵紋のことにも詳しく触れられていて、この紋は本多家が昔神職を務めていた賀茂社の紋から採ったということらしい?
なるほどねえ…家紋についての知識はさっぱりだしなあ。こんなにいろいろ調べてるのにいまだに自分の家の家紋さえわからん(笑)

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2008年3月11日 (火)

大津どっぷり。

大津3日目…今朝(昨朝?)はどっぷり雨

予定では京都観光するつもりだったけど、なんとなく大津にはまってしまい、再び東海道をジグザグに横断しながら1日目に見落としていた膳所藩関係のスポットを巡る…まずは膳所駅近くの岡山墓地へ。ここには前述の「膳所城事件」(将軍暗殺未遂事件?←結局ヌレギヌだったようだけど?)で切腹させられた藩士のお墓があるところ
※この「膳所城事件」と会津藩/新選組の関係については宮地正人さんの「歴史のなかの新選組」などでもとりあげられていますな~しかし現地では新選組の"し"の字も無し

続いて木曽義仲と松尾芭蕉のお墓があるという義仲寺に足を延ばしてみたら、なんと月曜お休みだそうで…お寺でお休みって有り??? いまいち納得できないまま天智天皇/弘文天皇などを祭った石坐神社、膳所城の城門が移設されている膳所神社/篠津神社、そしてやはり切腹させられた膳所藩士のお墓がある安昌寺、その藩士たちの魂を鎮めるために設けられたという丹保の宮がある本多神社などを探訪。本多神社には膳所藩資料館があると聞いて電話してみたのだけど(事前申し込みが必要だということで)、今はもう公開していないそうで残念…

ここらで予報どうり唐突に晴れ上がってびっくら
頭もここですっかり幕末から飛鳥奈良時代に切り替え?、念願の瀬田の唐橋へ。前述のとうり、壬申の乱に大いに関係するスポットなのでいちどは来てみたかったのだ(もちろん"東海道"上でもあるので、幕末にも大いに関係はあり)
橋自体は思ったほど風情がなかったけど?、ちょうど背景の山々には雲がかかり、かつ晴れ間も見え、なかなか劇的な風景でありました… ※当時は今より80メートルほど下流(ってどっち?)にあったらしい

そこからは一気に電車で南滋賀まで北上、南滋賀町廃寺跡や天智天皇を祭った近江神宮、そして住宅地の間にぽこぽこと空き地になっている大津宮跡も見学。ううむいまいち趣はないけど、ここから壬申の乱のドラマが始まったかと思うと実に感慨深いなあ…(しかし、マニアにはありがたいことだけど、いきなり下から遺跡が出てきてそのまま家を建て換えられないとなったら、住んでる人は大変やね~(涙))
しめくくりにその壬申の乱で敗れ去った大友皇子こと弘文天皇陵をお参りして、今回の旅はおしまい(そういえばたしか水戸藩では"弘文天皇"が正統に皇位についたものとして扱っているのであった)

その後は京都に出て再び(二日続きで!)マッサージしてもらい、そのまま新幹線に飛び乗って爆睡。ううむ贅沢で濃密な3日間でありました~

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2008年3月10日 (月)

立ち葵[2]。

今日(昨日?)もひきつづき朝から晴れ

第2回山南忌出席のため京都へ…向かう前に昨日のリベンジ?というわけで、大津から東海道・逢坂越えを敢行。蝉丸法師の"しるも知らぬも逢坂の関"で有名な逢坂、脇には蝉丸神社もあり。当時はかなりな難所だったらしいけど、今も国道1号線となっていて、両脇に山が迫り人気がないわりに車がすぐ脇をびゅんびゅん飛ばして行くし、ちょっと怖い? でも追分近くからは旧・東海道は脇道の住宅街へ入り、なんとなく当時の様子を忍ばせる風景になって気分よくウォーキング。脇の石標など見つつ四宮までたどりつく…

大津からここまで約1時間半弱。両脇のスポットに立ち寄りながらこの時間だったので、昔の人の健脚なら1時間もかからなかったのでは…
時間がなくなったのでここで電車に乗ってしまったけど、ここから京都三条までもいつか歩いてみたいもんだ~

さていよいよ今回の本番?京都は壬生
去年と同じくまずは光縁寺にて山南さんのお墓へお参り。すでに菜の花などのお花で溢れておりました…もちろんここも「右離れ三つ葉立ち葵」紋づくし
ひきつづいては前川邸にて焼香させていただく…こちらも去年と同じ形式で、切腹の間?の手前でお参りを。脇には箪笥なども置かれていて、去年も思ったけど、普段は普通に使われているところをこうして拝見できるのはファンとしては本当にありがたやありがたや

壬生寺での記念行事までは間があるので、その間はちょっと南の、水戸藩士の屯所だった本圀寺跡を見に。「天狗党の乱」以後はここで孤立してしまった尊攘派が"本圀寺党"などと呼ばれたわけですが(←戊辰のゴタゴタにまぎれて復権、江戸へ帰還後、諸生党への反撃に出る)
とは言っても「本圀寺」自体は山科のほうに移転、いまは西本願寺の駐車場やホテルとなっていて、当時を忍ばせるものは皆無…敷地の南端は西本願寺の北端に面していて、新選組の屯所だった「北集会所」とは真向かいだったわけですな
西本願寺の修復工事はいよいよ終了間近と見え、屋根の覆いがはずされお堂が姿を現しておりました

午後からは壬生へ戻り、山南忌記念行事へ。去年にひきつづき島原の太夫さんの舞など…これはとっても京らしくて良いですな~
その他寸劇や講演など。講演は前川家本家の蔵から出てきたという文書などをもとに、"前川家"がいかに力のある一族だったのかという解説や考察などを…
ううむ関西では有名なことなのかなあ…やっぱり関東にいるとこちら方面のことには疎くなるので、すごく興味深いお話だった…今後もいっそう研究が進むのがたのしみ
締めは今年も天然理心流の演武で。今回はあのぶっとい木刀どうしがまともにぶつかり合うような型?もあり、ううむかなり痛そうな…

行事終了後は病み上がりということもありさすがに体力の限界を感じたので、そのほかの探訪はあきらめ、飛込みでマッサージを受ける…これがかなり腕の良い人で助かった~!
なんとか復活し帰りがけに通った三条では、なんと池田屋跡のパチンコ屋が廃業??? 店舗は真っ暗、看板も真っ白になっていた…ううむ今後どうなるのか

ホテルに帰り着いて見た 篤姫 では、今日も天然理心流9代目宗家・宮川清蔵さんが褒めまくっていた?、堺・家祥さんが加速度をつけての大活躍?(笑) ううむはやく篤姫さんに遭わせてみたい

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2008年3月 8日 (土)

立ち葵。

さて今は唐突に大津

今朝から草津宿など東海道を探索…と言いつつこの一週間ひどい風邪っぴきでもうへろへろだったので(でもその間に家族ふたり分の確定申告は済ませたぞ)、予習どころではなくどこをどう見ていいものやら。とりあえず草津駅からスタート…したものの、地元の人に「中山道」はどこか聞いてみたら、3人が3人とも知らなかった…(あとから考えるとまさにそこが中山道の真上だったのだけど) 貴重な観光資源だというのに~しかし興味がないとこんなものやね(涙)

しばらく行くと草津宿のはずれの東海道と中山道の分岐点(こちらから見ると合流点)が。あうう山南さんはここまで辿りつけなかったわけですな(涙) そのすぐそばには草津に二軒あったという本陣のうちの一軒・七左衛門本陣が公開中。ううむさすがに二街道の合流点の宿だけあって、何もかもが豪華で規模がでかい…部屋数も多いし台所も広いし、そして上段の間の豪奢なこと。ここにはかの有名な?、土方/斎藤/伊東/藤堂御一行様の名前が書かれた宿帳(大福帳)も展示されとります(時節柄?、「篤姫」さんが江戸へ上ったときの名簿も…)

"帰り"はここまで辿り着けなかったとはいえ、山南さんはもちろん"行き"に「浪士組」の一員としてここを通ったわけで(ここで村上俊五郎とトラブったという話も…)、そんなミーハー目線で(ところどころは電車を乗り継ぎながら)しばし東海道を大津方面へ歩く。しかし昔ながらの格子窓が残っている率がものすごく高いなあ…途中から雲も晴れて絶好の散策日和となり気分よし

瀬田川を渡ると琵琶湖畔にせり出して、慶応元年の将軍・家茂暗殺未遂?事件で有名な膳所城跡が。現在は公園になっていて門だけがちんまり残っているのだけど、水際からは湖面越しに遠くの山々や草津方面も見渡せて、往時はさぞかし美しいお城だったんだろうなあ

さてなぜこの"膳所"に引っかかっているかというと、藩主・本多家の紋がなんと山南さんと同じ右離れ三つ葉立ち葵なのですね~
…というわけで門の軒先の瓦にもしっかりと「立ち葵」が。前述の草津宿本陣の釘隠しにも「右離れ三つ葉立ち葵」の紋が使われていたので由来を聞いてみたら、やはりこのあたりが膳所藩の管轄だったからということらしい? (ちなみに"ほんだ"違いだけど、谷保の本田覚庵さんの紋も「右離れ三つ葉立ち葵」だったりしますな)

膳所城近くの東海道沿いには本多家の菩提寺・縁心寺があって、ここのお寺の紋も「右離れ三つ葉立ち葵」、本多家墓所の石造りの門扉?にも「右離れ三つ葉立ち葵」…いや、単に立ち葵づくしでちょっとうれしかっただけ?(笑)

そして途中は飛ばしていよいよ今回のメイン?、大津の宿へ。ここの本陣はすでに姿かたちもなく、ただ碑が残っているだけなのだけど。前を走る道は京都のほうへ向かってゆるやかな右カーブの上り坂…ううんこのあたりで「沖田君、ここだ!」と立ち上がったのか~??? しばしひたる…うるうる(←いや、本当にここまで来たのかどうかもわからんが(笑))

本当はここから京都まで歩いてみたいところだけど、日も陰ってきたので大津市歴史博物館のほうへ。常設展示場には大津宿の一部の復元模型も置かれていたけど、せっかく期待して行ったわりには、いまひとつマニア度が足らないような…? 特に東海道に関する資料の販売もしていないようだし
まあここは戦国時代や大津宮のあたりに関する興味のほうが強いところだろうし、しかたのないことかもしれないけど…

その大津宮については昔、飛鳥奈良時代にはまっていたこともあって前々からいつかは訪ねてみたいと思っていたポイントではあるのだけど(なんせ大津皇子の育った地)…しかしなんといっても時間と頭と体力が足らない~!! 瀬田の唐橋も行ってみたいけど…(大海人皇子が僧形になってここから吉野へ逃れ、「虎を野に放った」…と言われたところだった…ような(←うろおぼえ~)) ここから壬申の乱が始まって終わったわけですが
※↑吉野へ逃れるとき渡ったのは宇治橋でした~ううむ我ながらいいかげん(汗) しかし高市皇子大津皇子の脱出行はここかららしい?

…というわけで幕末と飛鳥奈良時代が脳内で低レベルな争いをしている関西1日目なのでありました
締めくくりに夕暮れの園城寺(三井寺)の一部をそぞろ歩き、さて明日は京都

(ちなみに今回のホテルはばっちり禁煙で、おまけにLANもこうしてスムーズに使えてすばらしい~)

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