10/19/2007
この日は 大洗/那珂湊 方面がメイン。まずは大洗の 幕末と明治の博物館 へ。このあたりは天狗党の乱のころ戦場となった場所なので、そのあたりの情報があるかと楽しみにしていたのだけど、聞いてみたらそれ関係はいっさいないとのこと…展示物もごく一般的な水戸藩の有名人や、明治天皇、大正天皇関係ばかりだったし。ううむそんな内容ならこの場所で"幕末"と銘を打つ必然性があるのだろうか…(←睡眠不足なので余計に不機嫌/このあたりでもまだ肺が痛かった)
そのまま橋を渡り、対岸の那珂湊(現ひたちなか市)の ふるさと懐古館 へ。豪商・木内家の土蔵がそのまま郷土資料館として利用されているところで、柱には天狗党の乱の時につけられたという刀傷も。このあたりは戦闘に巻き込まれて被害が甚大だったそうで、"町の人たちはみんなどこそこへ逃げて大変だった"とか、かなり生々しいお話も聞け、幕末フリークとしては満足度高し…
次は 反射炉 、そして 山上門 へ。この 山上門 は小石川の水戸藩上屋敷の門を昭和になってから移築したものだそうで、小石川のほうに当時を偲ばせるものがあまり残っていないことを思うとかなりなありがたみが… 反射炉 は徳川斉昭さんがカノン砲を造るために建設されたものだそうだけど、これも実は天狗党の乱の時に破壊されてしまったものを、昭和になってから復元したものだとか。う~ん予想してたものよりかなり小型でかわいらしかった?…他の反射炉を見たことがないのでなんとも言えないけど
丘の反対側には水戸藩主別邸の 夤賓閣(いひんかく) 跡が。浜御殿 とも言われていたらしく、ここも元治元年の戦闘記録に頻出。丘の上からは太平洋や、対岸の大洗、祝町などが一望。元治元年にはここを挟んで天狗/諸生のにらみ合いが…
同じ丘に上にある小学校には郷校のひとつだった 文武館 跡の碑も
その後は少し北へ走り、 部田野 へ。このあたりではかなり激しい砲戦があったそうで、うちの高祖父も従軍していたそうな。近くの十三奉行の道端にはここでの戦死者を葬った 首塚 があり、そこもお参り…墓域には天狗党側の碑も別に建っていたけど、たぶん中心にあるこの 忠勇戦死之墓 は両軍区別なしに供養したもの…なのかなあ? ほかに軍馬の供養塔などもあり
さらにこのさい水戸藩関係のスポットを廻ろうと、平磯から海岸沿いの道を北へ。ううむ季節はずれの曇天の海水浴場はなんとも言えないわびしさ…(笑) しかし目の前いっぱいに太平洋の荒波?が!! この風景を見ると、水戸藩の人々が"夷敵"に対して異常にナーバスだったことがつくづく納得できるなあ
誰も居ない阿字ヶ浦の 酒列磯前神社 で境内の斉昭さんの腰掛け石を見、たっぷりフィトンチッドを浴び(こんなすごい鬱蒼とした参道は初めてかも)、6代藩主・治保さんが海に向かって東屋を建てたという 比観亭 跡などを見た後は、戦闘記録に登場する地名のあたりをうろうろしながら水戸方面へ(←かなり不審な動き)
途中、甲斐へ配流になる前の武田氏(信玄さんのご先祖)の発祥の地だったという、その名も"武田"にある復元館と 湫尾神社 にも立ち寄る…ううむここのスダジイは樹齢400年~450年とも言われ、すごい迫力。"武田"の名前に恥じぬ?雰囲気をかもし出しておりました
このあたりで日も暮れ、雨も降り出して来たのでおとなしくホテルへ…LANはあきらめ禁煙ルームに変えてもらってようやく落ち着く(やれやれ) あまりにも疲労が溜まっていたので駅近くで全身マッサージもしてもらい、やっとまともな休暇らしくなってきた?(笑)
さらには書店で「ふるさと文庫」が大量に置かれているのを発見~!!(東京ではまずお目にかかれない) …というわけでついつい大人買い…
最近のコメント