2008年5月 6日 (火)

難解。

先週29日にはさすがに普段腰の重い私も必死でガソリンスタンドに走る…行楽帰りの人たちがそろそろとぎれたかな、という夜9時頃に行ったら大当たり…! 空き空きだった上に121円/Lだった(うほほほほ) 翌々日の1日には34、5円跳ね上がったっていうし、ああ良かった

そんなに張り切って満タンにしたのに、このGWは"足ツボ"に出かけたくらいでめっきりインドア…

そんななか、吉川弘文館・ ステップアップ 古文書の読み解き方 読了。読み始めてから早1年くらいが経過しているような気がするんだけど?…古文書に頻出する言い回しの実例をいくつも示しながら、徐々にフクザツな文章の解読に挑戦して行くという、最近たくさんでている古文書入門本の中でも個人的にもっとも合っているような気がする1冊。まあこれを1回読み終えたからといって、古文書がすらすら解読できるようになったかというと、まったくそんなことは無く…(笑) 多少連想がはたらくようにはなったけど? ううむ、この本を10回くらい通読したら多少はモノになるのかも???

最近はいろいろ史料を調べる上で、古文書が読めないとまったくどうにもならんなと痛感することがとっても多いので…もっと真剣にやらんとね(汗)

史料?といえば、以前書いた、祖父の家から江戸時代のモノがいろいろ出てきたというハナシ、先週末にちょっと進展?があり大興奮…秋ごろにはさらにえらいことになるかも???(もう少し時期が近づいたらまた経緯を書くつもり…)

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2008年4月29日 (火)

GW???

金曜はふいに思い立って仕事帰りにマリオ・ジャコメッリ展を見に恵比寿は東京都写真美術館へ。ううん、"写真"と言うよりは限りなく"詩"かモノクロの"版画"に近いかも…生涯印刷の仕事に関わっていたという人らしい表現だなあ…
吉野朔実さんとかがすごく影響受けてそうな気がする?…いやなんとなく

日曜はまたまた日野へ…佐藤彦五郎新選組資料館の開館二周年記念行事に参加させていただく。普段はガラスケースの向こう側に展示されている"龍笛"を持たせていただいたり、その後は今回初展示という歳三さん書簡を佐藤福子館長自らの解説で一字一字読み解いていく、というとってもアットホームで楽しくてためになる催しでありました

ご存知のとおり?、京都へ行ってからの土方さんの文字はとっても奔放…というかゴーイングマイウェイ?(笑)なので、慣れた人でもとっても読むのに苦労するらしい…1行に4文字しか書いてなかったりするし(←水戸藩などでは紙を倹約するように、奥向きの人たちに紙漉きの苦労を見学させたという話も聞くのに…あうう(涙))

その後はまたいつものパターンで、ファミレスで友人と幕末話で長々と盛り上がり…

さて今回の 篤姫 は、ううむ囲碁を打ってお別れ、というのももう三度目だしなあ…もっと何か変わった趣向はなかったのだろうか~小松清猷さんも、あんなにいい役だったのにその死が伝聞でしか語られないなんて、なんとももったいない

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2008年3月24日 (月)

フクザツカイキ。

昨日の日曜は 徳川斉昭を学ぶ 最終回を聴きに水戸へ。ちょうど会場の茨城県立歴史館では 御三卿 一橋徳川家 展の最終日だったので駆け込みで拝見。歴代の当主について流れもわかりやすく配置されているし、解説も程よく読みやすくて助かった…ここの一橋家所蔵品ではいつも目貫・小柄・笄・鐔などの刀関連の細工物がすばらしくて大好きなのだけど、それも細部まで舐めるように見られるように展示されていてうれしい

装束関係や、蒔絵などの調度品もすばらしかったし。変わり兜?と言われるヘンな形の兜のコレクションもおもしろかった…「イカ?」「魚のしっぽ…??」「うさぎ???」「ぐー(拳固)???」みたいなモノが頭の上に乗っかって??? 「ベルクカッツェ」は絶対これから採ったんじゃないか???みたいなものも…(古いな)

さて講座のほうも最終回ということで大入り満員。今回は主にやはりクライマックス?の「桜田門外の変」のころの情勢について…当時の陰湿な情報戦の様子も垣間見えて恐ろしい
最終回まで毎回とてもわかりやすく整理された内容を聴けて、幕末の水戸藩情勢についてはおかげさまで以前より何倍も何倍もスムーズになった…(はず?)

斉昭さんという"人格"についても、隅から隅まで理解できた…かというとますますわからなくなったような気もするし?(笑) やっぱり斉昭さんにかぎらず人は局面局面で変わって行くし、同時に相反することを考えていたりするし、簡単には定義できないんだなあ…ということでありました(あの慶喜さんの父上だしな)

今回はさらに輪をかけて姿のわかりにくい十代・慶篤さんの、天狗党に対する過激な態度も垣間見えたけど、今後この人についてももっとスポットが当たらないものか…うちの10代目はどうやら最後のころこの人の側近くにいたらしいということもあり?、どんな人だったのかかなり興味有り…今後もっと掘り下げられていくといいなあ

さてそして家にたどり着いて見た 篤姫 は…今回は以前の養女に入る回と内容がかぶりぎみだったし、さすがにちょっとどのキャラも未練が強すぎたのでは…??? ううむしかしいよいよ家祥さんが近づいてきましたな

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2008年3月17日 (月)

開幕。

F1開幕。いや~"ナカジマ"とか"ピケ"とか聞くと、私の世代はもうそれだけで沸き立つモノがありますが(笑)
レース自体は期待していた面々が早々に倒れて行きガックリだったけど、トラコン禁止というのはいいですな~がぜんおもしろくなってきた

篤姫 は、今回、そして来週も泣けそうだ…それに回を追うごとに深くなる阿部さんの眉間のシワがたまらん?(笑) 今後原作のような亡くなり方をするのだろうか~???(あまり"ホームドラマ"向きではなさそうな) 堺・家祥さんに関しては今回はちょっと中継ぎっぽかったけど。いよいよ江戸が近づいてきましたな…しかし"幕末ホームドラマ""ラブコメ"と銘打ちながら?、西郷・大久保の、斉彬さんや"攘夷"に対する微妙な温度の違いもちゃんと見えるあたりもうまいなあ

そういえばたしか以前読んだ「幕末の薩摩」によると、薩摩藩は家督を継ぐ前の跡とりや次男・三男以降にも仕事と禄を与えたりしていたらしいし(ってことは嫁とりも普通にできるのか?)、恵まれてるのぉ…それは人材も育つわな。やっぱ南国なればの余裕なのか
水戸藩などでは、三男以降は"間引き"の危機だったとも…???
[↑※さらに後日追記] 弘道館ができてからは、水戸藩でも試験の結果次第で次男、三男以降も禄を与えられる機会ができたとか~

足のほうは、週末2日間しっかり休んでもう大丈夫だろうと調子に乗って歩いたら、やっぱり帰り道に痛み再発…しぶといしくしく

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2008年3月11日 (火)

大津どっぷり。

大津3日目…今朝(昨朝?)はどっぷり雨

予定では京都観光するつもりだったけど、なんとなく大津にはまってしまい、再び東海道をジグザグに横断しながら1日目に見落としていた膳所藩関係のスポットを巡る…まずは膳所駅近くの岡山墓地へ。ここには前述の「膳所城事件」(将軍暗殺未遂事件?←結局ヌレギヌだったようだけど?)で切腹させられた藩士のお墓があるところ
※この「膳所城事件」と会津藩/新選組の関係については宮地正人さんの「歴史のなかの新選組」などでもとりあげられていますな~しかし現地では新選組の"し"の字も無し

続いて木曽義仲と松尾芭蕉のお墓があるという義仲寺に足を延ばしてみたら、なんと月曜お休みだそうで…お寺でお休みって有り??? いまいち納得できないまま天智天皇/弘文天皇などを祭った石坐神社、膳所城の城門が移設されている膳所神社/篠津神社、そしてやはり切腹させられた膳所藩士のお墓がある安昌寺、その藩士たちの魂を鎮めるために設けられたという丹保の宮がある本多神社などを探訪。本多神社には膳所藩資料館があると聞いて電話してみたのだけど(事前申し込みが必要だということで)、今はもう公開していないそうで残念…

ここらで予報どうり唐突に晴れ上がってびっくら
頭もここですっかり幕末から飛鳥奈良時代に切り替え?、念願の瀬田の唐橋へ。前述のとうり、壬申の乱に大いに関係するスポットなのでいちどは来てみたかったのだ(もちろん"東海道"上でもあるので、幕末にも大いに関係はあり)
橋自体は思ったほど風情がなかったけど?、ちょうど背景の山々には雲がかかり、かつ晴れ間も見え、なかなか劇的な風景でありました… ※当時は今より80メートルほど下流(ってどっち?)にあったらしい

そこからは一気に電車で南滋賀まで北上、南滋賀町廃寺跡や天智天皇を祭った近江神宮、そして住宅地の間にぽこぽこと空き地になっている大津宮跡も見学。ううむいまいち趣はないけど、ここから壬申の乱のドラマが始まったかと思うと実に感慨深いなあ…(しかし、マニアにはありがたいことだけど、いきなり下から遺跡が出てきてそのまま家を建て換えられないとなったら、住んでる人は大変やね~(涙))
しめくくりにその壬申の乱で敗れ去った大友皇子こと弘文天皇陵をお参りして、今回の旅はおしまい(そういえばたしか水戸藩では"弘文天皇"が正統に皇位についたものとして扱っているのであった)

その後は京都に出て再び(二日続きで!)マッサージしてもらい、そのまま新幹線に飛び乗って爆睡。ううむ贅沢で濃密な3日間でありました~

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2008年3月10日 (月)

立ち葵[2]。

今日(昨日?)もひきつづき朝から晴れ

第2回山南忌出席のため京都へ…向かう前に昨日のリベンジ?というわけで、大津から東海道・逢坂越えを敢行。蝉丸法師の"しるも知らぬも逢坂の関"で有名な逢坂、脇には蝉丸神社もあり。当時はかなりな難所だったらしいけど、今も国道1号線となっていて、両脇に山が迫り人気がないわりに車がすぐ脇をびゅんびゅん飛ばして行くし、ちょっと怖い? でも追分近くからは旧・東海道は脇道の住宅街へ入り、なんとなく当時の様子を忍ばせる風景になって気分よくウォーキング。脇の石標など見つつ四宮までたどりつく…

大津からここまで約1時間半弱。両脇のスポットに立ち寄りながらこの時間だったので、昔の人の健脚なら1時間もかからなかったのでは…
時間がなくなったのでここで電車に乗ってしまったけど、ここから京都三条までもいつか歩いてみたいもんだ~

さていよいよ今回の本番?京都は壬生
去年と同じくまずは光縁寺にて山南さんのお墓へお参り。すでに菜の花などのお花で溢れておりました…もちろんここも「右離れ三つ葉立ち葵」紋づくし
ひきつづいては前川邸にて焼香させていただく…こちらも去年と同じ形式で、切腹の間?の手前でお参りを。脇には箪笥なども置かれていて、去年も思ったけど、普段は普通に使われているところをこうして拝見できるのはファンとしては本当にありがたやありがたや

壬生寺での記念行事までは間があるので、その間はちょっと南の、水戸藩士の屯所だった本圀寺跡を見に。「天狗党の乱」以後はここで孤立してしまった尊攘派が"本圀寺党"などと呼ばれたわけですが(←戊辰のゴタゴタにまぎれて復権、江戸へ帰還後、諸生党への反撃に出る)
とは言っても「本圀寺」自体は山科のほうに移転、いまは西本願寺の駐車場やホテルとなっていて、当時を忍ばせるものは皆無…敷地の南端は西本願寺の北端に面していて、新選組の屯所だった「北集会所」とは真向かいだったわけですな
西本願寺の修復工事はいよいよ終了間近と見え、屋根の覆いがはずされお堂が姿を現しておりました

午後からは壬生へ戻り、山南忌記念行事へ。去年にひきつづき島原の太夫さんの舞など…これはとっても京らしくて良いですな~
その他寸劇や講演など。講演は前川家本家の蔵から出てきたという文書などをもとに、"前川家"がいかに力のある一族だったのかという解説や考察などを…
ううむ関西では有名なことなのかなあ…やっぱり関東にいるとこちら方面のことには疎くなるので、すごく興味深いお話だった…今後もいっそう研究が進むのがたのしみ
締めは今年も天然理心流の演武で。今回はあのぶっとい木刀どうしがまともにぶつかり合うような型?もあり、ううむかなり痛そうな…

行事終了後は病み上がりということもありさすがに体力の限界を感じたので、そのほかの探訪はあきらめ、飛込みでマッサージを受ける…これがかなり腕の良い人で助かった~!
なんとか復活し帰りがけに通った三条では、なんと池田屋跡のパチンコ屋が廃業??? 店舗は真っ暗、看板も真っ白になっていた…ううむ今後どうなるのか

ホテルに帰り着いて見た 篤姫 では、今日も天然理心流9代目宗家・宮川清蔵さんが褒めまくっていた?、堺・家祥さんが加速度をつけての大活躍?(笑) ううむはやく篤姫さんに遭わせてみたい

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2008年2月27日 (水)

軌跡。

市川勢の軌跡 届く…&読了。去年茨城新聞に連載されていたものに加筆、そして各スポットの写真を加えてまとめられたもののようなのだけど。ううむ…市川勢が水戸を脱出するまでに至る"諸生"/"天狗"両派対立のバックグラウンドについては、軽く触れられているもののほぼ割愛(たぶん地元新聞ということでいわずもがなのことだったのかもしれないけど)、そして新潟方面、水戸-八日市-松山付近での行動については「水戸藩の戊辰戦争 -諸生党の最期-」や「水戸藩・戊辰の戦跡をゆく」「水戸朋党の争い」を越える情報があるかというと…???(←ちなみにこれらの本はどれも"参考文献"には入っていない) "市川勢"の構成メンバーについてもそれ以上の詳しい情報は無し?

比較的新しくて詳しいのは会津での戦闘行動についてだろうか…後半を占めている各スポット写真も鮮明でイメージしやすいし
それに、とりあえずこうして"諸生党"側について取り上げられる機会が増えれば、今後も少しずつ新たな発見が重なっていくかもしれない…?

以前はもしかしたらうちの10代目もこの"水戸脱走兵"の中に入っていたのかも…と思っていたけど、最近いろいろ調べた前後関係から見て、やはり赤沼獄あたりにいた可能性大? (この本にも10代目と同じグループにくくられていた人が3月25日に赤沼獄に入れられたことが触れられている…ううむしかし元史料はどれだろう)

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2008年2月24日 (日)

ルーツ?

昨日は久々に国会図書館へ。いや~すごかった…風が。遠くの空が靄ってたもんなあ…黄砂の灰色版といった感じだろうか。帰宅後目薬をさしたら眼からゴミがいっぱい出てきてびっくり

図書館ではまたまたうちの先祖調べに関連して、主に香川県関係の資料をあさる…もともとうちの先祖は高松藩松平家の初代・頼重さん(水戸光圀さんの実兄)に仕えていたらしいのだけど、光圀さんが頼重さんの実子・綱方さんを養嗣子にしたのでその時いっしょに水戸に付いて来たそうな(ちなみにその綱方さんは早くに亡くなったので、さらにその弟・綱條さんが養嗣子として迎えられ、3代目水戸藩主となる) それ以前はもともと徳川家に仕えていて高松へ行ったのか、どういうルーツなのかよくわからなかったのだけど、先日出てきた家系図によるとかなり前から讃岐(現香川)あたりでうろちょろしていたらしい…(いろいろな"戦い"に参加したことが書かれているけど、どうもそこらへんは"大ボラ"な気がしなくもない?…(笑))

というわけで、戦国時代の讃岐についてにわか勉強中…ううむ、中高生のころはめっきり戦国時代にはまっていたけれど、当然若かったので、中央付近であったメジャーな事件しか知らないし。実生活でも淡路島までしか行ったことないし。初めて見る固有名詞がいっぱいだ(涙)…それはそれで新鮮な驚きではあるのだけど

さて今回のTVnavi 堺さんエッセイは…私も昔から貧血気味で、若い頃は電車でへたり込むことはしょっちゅう、美術館で倒れて何時間か起き上がれなかったりとか、いまだに献血できない体だったりするけど、こんなふうに自分の仕事に将来的に支障があるかどうかとか、生きる意味を達観するとかという経験はまったくなく…ううむあらためて浅い人生だ…?(笑) ここ2、3週、ちょっとタイトな仕事が続き、先日ついに隣の席の子が倒れた(←いや単なるものもらいと風邪っぴきらしいが)のだけど、たとえ血の比重は軽くても、Feの錠剤を常用していても、ぴんぴんしてる自分って今現在けっこう頑丈なのだな~と気づきましたさ…ありがたやありがたや?

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2008年2月11日 (月)

じわじわ妄想。

日曜は日野宿本陣文書検討会例会へ。いつものように彦五郎さん日記を読んだり、いろいろな調査報告があったり。なんだか前日の興奮冷めやらぬまま、ちょっと調子に乗ってしまったかも…反省

例会後はまたまたファミレスにて幕末トークで盛り上がり…そして帰宅後はひきつづき、今回見つかった冊子の整理など。拝領の盃の由来もどんなものなのだろうといろいろ本をパラパラしていたら、「水戸市史」にその天保14年5月22日の記事が。どうやら斉昭さんは従来の「神発流」砲術に、「高島流」などの洋式砲術を取り入れた大極陣なる新式の陣形を考案して、その訓練をさせていたらしい…そして5月22日にその成果を御前披露というはこびになったそうな

盃と一緒の箱に、鉄砲の的(弾痕付き)と思われるものが何枚か納められていたので、何か銃に関係したことだとは思っていたのだけど。そのときうちの9代目は「先手同心頭」という役職だったので、たぶん銃隊の指揮にあたり、代表してお褒めに預かったものらしい…? というわけで、もしかしたら的に弾を的中させたのは本人ではないかもしれないけど(笑)、でも今回砲術に関するマニュアルのようなものも一緒に見つかったので、おそらく彼なりに一生懸命任務にはげんだのであろう…

この翌年には斉昭さんは幕府の不興を買って蟄居謹慎、うちの9代目も天狗党の某"大物"のせいで蟄居謹慎、知行召し上げという目に遭うのだけど、もしかしたら謹慎中にもこの盃を見ながら再起を誓っていたかも…などと思うと泣ける?(←も、妄想が)

今回いろいろ調べた中で、その9代目の舅に当たる人が東軍流という古くからの剣の流派の達人だったということも判明。もしかしたら9代目もそうして武芸にはげんでいた人なのかも…? (水戸といえば「神道無念流」なのかと思っていたけれど、そういうのはかなり"新興"の流派で、やはり"天狗"側の人間が好んだものらしい)

そして他の冊子の束の中から、"10代目"がつけていたと思われる元治2年の日誌も発見。「水府系纂」でも前年の元治元年までの動向しかわかっていなかったので、これは私的にものすご~くありがたい貴重な史料…!! 毎月の勤務状況やら、水戸と江戸の行き来やら、新しい仕事に就いたことなどが手短ながら几帳面に書かれている…ことが推察される(←ううう半分くらい判読できん(涙)) この人は前述の通り父親が蟄居謹慎などという不名誉な目に遭っているので、その分一生懸命任務にはげんでいたんだろうなあ(このころはまだ十代半ばだと思われるのだが)…"当番"という文字が冊子の見開きいっぱいに並んでいるのがなんともいじらしい?

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2008年2月 9日 (土)

発掘。

最近は仕事がハードなばっかりで、わざわざ日記にするようなネタもないし、雪かきで腰痛になったことでも書くか…?と思っていたら従兄から大ニュースがっ!!

仏壇の裏を整理していたら、昔の家系図やら書簡やらがごっそり出てきたらしい…ということでさっそく見せてもらいに行ったら、桐の箱に入った家系図の巻物(「水府系纂」では江戸時代に入ってからのことしかわからなかったけど、それ以前のはるか昔…「日本武尊」まで辿れるのだけどさすがにそれはどうか(汗))やら、代々つけていたらしい"家日記"やら、元服のときの名前の由来書?やら、そしてなんと斉昭さんから拝領したという酒盃まであった…"子孫代々伝えろ"という書付入り。ううむうちは斉昭さんからは嫌われた家系だったと思いこんでいたのでこれは意外…やっぱりどんな藩主でも、こういうのはありがたい名誉なことだったんだろうなあ

そしてさらにびっくりだったのは、それら史料を元にして書いたと思われる、厚さ4cmくらいある祖父手作りの歴代当主の日誌! があったこと…うううオタク魂極まれり…やっぱこれはなのか~っっっ!?
鉛筆でとった墓石の"墓拓"まであったさ…同じコトをしようかと思っていた孫がここに…ううう
祖父がまめに?参考資料として出し入れしていたためなのか、書簡や日記類には虫食いもほとんど無く、墨跡もくっきり、保存状態もかなり良いのが感動

しかしそれほど綿密に調べて書かれた祖父の「日誌」にも、私が今四苦八苦している戊辰の年の詳細は載っていないのであった…やはり曽祖父はそのことについては何も語らなかったのか…? やっぱり私が調べ続けるしかないのか~
ううむせっかく見つけた史料だけど、いまだにくずし字はほとんど読めないし。先は長そうだ…
ああいろんな意味でカルチャーショックな1日

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2008年1月14日 (月)

ごほうび?

「検屍官シリーズ」 異邦人[上/下] 読了。ううむそれなりにまとまりも良くおもしろかったけど、どうもここ2、3作いかにも"つなぎ"っぽい印象が…以前に較べるとかなり話の規模が小さいし、パワーダウンした感じは否めない…?

中公新書・ 徳川家康 も読了。やっぱりたまには原点に帰りましょう、ということで?(笑)
どうやら初版発行は1963年らしいのだけど、いまだに読まれているということはやっぱり王道の内容?(子供の頃に見たアニメ「徳川家康」を思い出して懐かしかった) でもやはり今は幕末に登場した諸氏のルーツはどうだったのか、という点にいちばん興味を持って読んでしまっていたり?

日曜はまたまた 徳川斉昭を学ぶ を聴きに水戸へ。講座に先だっては駅近くの東照宮に年始のお参り…そして前々から目をつけていた大き目の本屋へも立ち寄る…そしたらなんと目の前に! 水戸市史 (新品!)しかも江戸時代について書かれた「中巻」がそろって並んでいるじゃあ~りませんか!!(←「中巻」と言いつつそれだけで5冊もあるのだが~)

いや~「水戸市史」って…もう現在は古書店でしか入手不可能で、しかも人気の?中巻をそろって手に入れるためには、上・中・下全9冊?を一括購入しなきゃならないと思っていたのは単なる私の暴走? 思い込み???(汗) ←…だったようだ…
まあそれはともかく現実に新品がキラキラと目の前に並んでいる~!! しかも折悪しく?ここ2、3日私は"去年1年間頑張ってえらかったね週間"に入っているのである (というわけで前日にも1年分のCD/DVDを大人買いしたばっかり…)
おまけに思ってたより妥当な値段…(←び、微妙~) さらには送料無料で届けてくれるらしい…
ということで気づいたら5冊ご購入~うひゃひゃ
もうだめだ…っていうかうれしいぞーっっっ

↑そしてこのテンションのまま県立歴史館へ。講座もいよいよ第6回、佳境に入ってまいりました…今回のテーマは「一橋派V.S.南紀派」ということで。主に斉昭さんと井伊大老(まだ今日の段階では大老ではないが)の"夷敵"に対する意見の対比についてなど。ううむ井伊さんは最初から確固たる意見を持っていて揺るぎがない…最近は井伊家についての研究があらためて進んでいて、井伊大老についての見方もだいぶ変わってきてるそうだしなあ。去年は彦根築城400周年ということで話題も多かったし(「ひこにゃん」も人気だし)、どうも風向き悪いぞ斉昭さん

それに学術的にも、彦根にくらべて水戸はどうも感情的な研究になりやすいという批判?&自戒があるらしい…?(←もちろん根強い内紛と、残っている史料が少ないというのが原因らしいけど) ←ううむそうなのかなあ…「新選組」研究に較べたら何百倍も冷静な気がするが~???

時代的にはちょうど将軍・家定さんのころということで、家定さんの人となりについての解説や史料などもあり
講座が終わってロビーに出たところ、年配のおじさま二人が 「だからさあ、堺雅人に嫁ぐんだよ、堺雅人に!!」 と盛り上がっていて、おもわず内心耳ダンボ&大ウケ…ううむあの年代の方にもちゃんとフルネームで認識されているとは。ちょっと混ざりたかったぞ

その 篤姫 、今回はさんの出番はなかったけど、やっぱかなりおもしろい…若者たちの集いも楽しいし(←西郷さんはカッコよかったけど、でも実際はどこか体が悪くて剣術はできなかったんじゃなかったっけ…もっと後の話?) そしてひきつづき調所さんは良かったなあ…これでおさらばなのは残念だ~

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2008年1月 7日 (月)

本格始動。

結局 源氏物語絵巻 は以前のものそのままの再放送だったけど、改めてしみじみ見てしまった…まったく気の遠くなるような作業だなあ

篤姫 はスピード感もあったし「役割」の話も良かったし、なかなか期待できるのでは~調所さんはじめ"大人"の面々がかなり魅力的
さて家定(家祥)さんは今後どう描かれるのか

天と地と は正直全然期待をしていなかったけど(←をい)、時間の割りによくまとまってたような? でも毘沙門天が出てくるたび、それに佐野史郎の死に様(「がくっ」)が爆笑だった…(汗)←ついでに諏訪御前の死に際も
肝心の?渡部さんの出番は予想の4倍くらいあったので、まあこちらも年始から満足?

ひきつづき中公新書・ 幕末長州藩の攘夷戦争 読了。長いこと「つん読」状態だったのだけど、先日読んだ「長州戦争」で参考図書に挙げられていたので、勢いでやっとこさ読み終わる…こちらは"長州戦争"に先立ってというか、並行して行われた四カ国艦隊と長州との砲撃戦の話で、大負けした長州が"攘夷"から"開明/倒幕"路線に転換するきっかけになった事件の分析/ダイジェスト+史料など。「長州戦争」がどちらかというと"関東"びいきで、底流に"やらなきゃよかった戦争"というふくみで書かれていたのに対して、こちらの著者はもろに長州の人ということで、"してやったり"的な精神が流れているのが対照的でおもしろい

瀬谷義彦さん著・ 水戸の光圀 も読了。"お話"や"伝承"などが先行しがちで、知っているようでよくわかっていない"黄門さま"だけど、これは史料などから読み取れる"実像"の生涯を追った1冊。数々の"言い伝え"についてもちゃんと検証してくれているし、地元・水戸ならではの黄門さまについての"常識"にもところどころで触れられていて、離れているものにとってはかなりありがたい内容…

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2007年12月 3日 (月)

師走。

土曜は年末の恒例行事?・金沢から里帰りしてきた友人に会いに八王子へ。ううむふたりのお子さんもますます大きくなって…上の子なんて、もうすぐ私の肩に届きそうだ~生まれてすぐ病院で会った日を思い出して思わず涙?

今回の友人のお土産は富山のご当地キティ、ますの寿司キティちゃんだった…(何を隠そう「鱒寿司」は私の大好物!) ううむレアだ~(笑)ありがとー!

日曜は毎月の恒例行事?・ 徳川斉昭を学ぶ を聴きに、水戸は茨城県立歴史館へ。歴史館の庭の銀杏並木はちょうど見ごろ?で、黄色の絨毯が一面に。天気も良かったし、カメラを持って行かなかったのが残念だ~。講演に先立っては、閲覧室で主に反射炉に関する資料調べ…ううむ資料を出してきてくださるスピードも、コピーもとってもスムーズで感動(涙) 思った以上にいろいろ資料が見つかってよかったよかった

講座のほうは今回で早くも第5回。今回は斉昭さんと交流のあった阿部正弘/島津斉彬/松平慶永/伊達宗城さんについてや幕府に対していろいろ口やかましく意見していた内容などについて…特に阿部正弘との親密なつながり(たとえば阿部家が治めていた福山藩の藩校「誠之館」扁額の揮毫は斉昭さんで、いまだに現地で大切に?されているらしい)についての話はおもしろかった

あとは「日の丸」へのこだわりとか…(斉昭さんの粘りが無ければ、日本の国旗は黒の横棒になっていたかもしれないらしい?(笑)) いや、それにしてもこんなじいさん、さぞかし煙たがられたであろう…(涙)

そのほか歴史館では 結城水野家 (家康生母の於大の方の家系)についての展示も開催中。信長/秀吉/家康という"主君"を渡り歩き?その間に与えられた知行安堵の書類などが、まったく虫食いなどもなくきれいな状態で保管されているのにはびっくり…(途中家系が断絶したりしてるのに) 展示されていた2代目?の甲冑も渋い青で、趣味が良かったな

その後は駅前に出て、以前目をつけておいた耳ケア?のお店へ入ってみる…(耳の中をスコープで見せてくれたりもするので興味津々(笑)) 他人に耳掃除をしてもらうというのも始めての経験だったのだけど、どうやら普段の自分のやり方はそんなに間違ってはいないらしい? 最後に耳から頭、肩までマッサージをしてもらって、予想以上の気持ち良さだった~シアワセ(←水戸まで行って何をやっているのか)

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2007年11月25日 (日)

上野。

土曜は意を決して?上野で開催中の 大徳川展 へ。いや~すごかった…70分待ち。晴れててよかった。そしてようやく入場できたら…ははは何も見えません(笑) そもそも説明文の字が小さい上に照明は暗いし、展示スペース奥の壁に貼り付けられているために多少目の悪い私にはまったく読めず…(前に並んでいたご婦人方も「眼鏡かけてるのに全然読めない」とおかんむりだった) やっと最前列に割り込んでガラスに張り付いて説明文を読んでも、読んでいる間に後から押されて実物を見ているヒマがない、というひどい状態だった…空調も悪いし(怒) だいたい規模が大きいわりに開催期間が短すぎるのが問題だよな

展示品についても豪華なものがいっぱい並んでいる、というだけで、興味の点からいえば「江戸城展」のほうが数倍上だったような…そんな中で今回うれしかったのは幕末の勅諚や御沙汰書、書簡などがまとめて展示されていたことだろうか←このあたりは比較的人も少なかったし(図録もこれが載っている5Pのために買ってしまったと言っても過言ではない?)

一番ショック?だったのは光圀さんのタイツ…(笑)←オランダの装束を取り寄せて着用したりしていたらしい?
そして今回は御三家中でも他に較べて水戸からの出品が多かったような? しかもけっこう豪華な…肝心な書類とかはいっぱい焼失してしまったのにまだこんなものが残っていたのか~っっっ(重ねてショック)

…などと言いつつ最後のお姫様たちの嫁入り道具のコーナーは、やっぱり豪華で華やかで目に楽しかったかな。もともと蒔絵が好きなのだけど、実家と嫁ぎ先の紋の組み合わせ方や散らし方など、さすがに意匠が上品で凝っていた…

その後はもう一件寄りたい展示があったのだけど、体力的にも時間的にもとっても無理で断念(笑) その代わり?と言っては何だけど同じ上野山中の 彰義隊の墓 に立ち寄る…う~ん上野には長年通っていたけどこんなところにあったとは。激戦地の黒門があったあたりは買い物客、観光客で博物館以上の人口密集度でありました…(汗)

その他、本では「ふるさと文庫」 水戸藩の医学 読了。光圀さん以来、水戸藩では他藩より医学に対しては力を入れていた…そうなのだけど? (そういえば水戸のお墓には贈位されたお医者さんが多いような(なぜか水泳も盛んだったようだけど)) 特に幕末の郷校を介した種痘の普及が興味深かった

ドラマでは… 医龍2 は先週にまったく同じ? 1話以来?の荒瀬の活躍シーンがあったのはうれしかったけど
風の果て はなんだかすっかりツボにはまって何度も見返してしまう…ワナにはめるには、もうちょっと視聴者の知らない事実を突きつけてどんでん返し風にして欲しかった気もするけど

SP も、けっきょく予告で見せられた映像を全てつなぎあわせてみたらこうなりました、という感じで…全員あっさり片付きすぎ(汗) 情けなさ過ぎるぞ"元軍人"…(涙) 1回くらい「大ピンチ」が訪れるのがセオリーでは。まあ今回は笹本が動いたので半分満足?

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2007年11月20日 (火)

日月。

日曜はいつもの幕末仲間?のYさん、Sさんとともに松戸は 戸定歴史館 、いわゆる戸定邸へ。ここは最後の水戸藩主・徳川昭武さんが明治になって住んだところ。実兄の徳川慶喜さんもたびたび訪ねていたそうな。以前松戸探訪をしたときに訪ねられなかったので心残りだったのだけど、ようやく訪問。天気も良く、庭園がきれいに見渡せ…内部も江戸時代ほど古びていず、なんとなく昭和に近い懐かしさ漂う質素な造りで身近な感じが

庭の白い山茶花の横の芝生でお昼をいただき、まったり

その後ふたたび松戸駅から電車を乗り継ぎ、松戸市立博物館で開催中の 大名の旅 本陣と街道 展を見に(←今回の主目的?)。ちょうど学芸員さんの解説に間に合い、約1時間半かけて展示場を1周…最後には貧血を起こしそうになったけど、予想外に?濃い内容でこちらも大満足。いや、なにせ宿場フェチ?だし(笑)、おまけに松戸宿を中心に、水戸に通じる水戸街道がメインだし

でも水戸までの完全な道筋を描いた当時の絵図が存在しない、という事実は初めて知った…仰天。どうりで調べてもよくわからんはずですわ。でも会場では1998年開催の 水戸道中 宿場と旅人 展の図録も売られていて、こちらの巻末には8Pに渡って江戸から水戸までの道筋が描かれた現在の詳しい地図が…! (しかも各宿場の解説付き) ううむ先日の水戸探訪のときにこれがあったら最強だったのに~(…また行かねばね)

しかしこんな濃い宿場関係の展示は初めてだったかも? ちょっと遠いけど、だんぜんオススメ
地元ということですっかりお世話になってしまったYさん、ありがとー!

そして今日(月曜)は! ついについに見てきました、 恐れを知らぬ川上音五郎一座 !!! いや~前回の「噂の男」に較べると、なんて平和でハートウォーミングだったことか(笑) 1幕目は正直なんだかテンポも悪く(もしかしたら演出だったのかも知れないが~)、ちょっとはらはらしながら見ていたけど、2幕目では1幕目で撒き散らしたネタ?が全部回収されて大笑い…こけら落としということもあってか、劇場も観客も隅々まで巻き込んでの大サービス?で、思いっきり楽しめた

さん(雅人さんのほうね)は三谷作品でのいつものポジションというか(笑)、ひとりまとも?で周りに振り回されっぱなしな役どころ。ちょっと風邪気味なのかも? 他も戸田恵子さん/小林隆さん/今井朋彦さん/阿南健治さん堀内敬子さん/浅野和之さんはじめ、全員アクが強くこれでもかというほど芸達者な方々ばっかりで…正直、メインのふたりについては、普段あまり経験のない身でこんなメンバーに脇を囲まれて舞台に立つというのはかなり残酷なことでは…(いいところで噛み噛みだったしなあ) とはいえひさびさに思いっきり腹を抱えっぱなしの3時間でありました

もっと詳しい感想はたぶんまた後日サイトのほうへ。体力切れなので今日はここまで~
12月にも行く予定なのでどんなふうに変わっているか?楽しみ(笑)

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2007年11月17日 (土)

思いもかけず。

荒川ふるさと文化館から9月ごろ開かれていた「彰義隊とあらかわの幕末」展図録の付録、 彰義隊身上書上の翻刻 が届く。展示期間に翻刻が間に合わなかったらしく、そういえば追加で送ってくださるというので申し込んでおいたのをすっかり失念していた…間抜け~(汗)

身上書と言っても、隊士の中で生き残った、しかもかなり前歴のはっきりした人たちばっかり約66人に限った名簿なわけだけど、各人どんな経歴を辿って上野戦争に到ったのかが伺われておもしろい…いまのところまだ個人的に深く彰義隊に興味があるというわけではないので(←だったらなぜ展示を見に行ったのか(笑))、でもそのうちひょんなところで役立つときが来るかも~? とにかく忘れずに送っていただけたのはありがたやありがたや

星亮一さん著・ 山川健次郎の生涯 白虎隊士から帝大総長へ も読了。もともと山川健次郎さんについてはくわしく知りたいと思っていたので、書店の平積みコーナーで出会えてラッキー。ちょっと小説仕立てのところもあり、かなり端折られてはいるけれど、個人的に知りたいことの多い会津戦争以後にページが割かれているので良かった

帝大(現東大)総長をしていたことは知っていたけれど、武蔵高校(現武蔵大)の校長にもなっていたとはまったく知らずびっくり…そのほか、「リング」の元ネタ?の事件にも深く関わっていたとは意外中の意外だった…ううむどこで何がつながっているかわからんのお

さてTVでは今回の 医龍2 、なんだか全体的にステレオタイプで拙かったような(父と兄へのコンプレックスとか、独りじゃ生きていけないのよとか)…それにやっぱり主人公メインの話にならないと…手を怪我して手術できないというのも「救命~2」などで見た気がするし。「救命~」ではいろんなキャラのエピソードも毎度複雑にからんで、でもしっかりと最後には要の主人公に着地していた気がする…
しかし高橋一生くんはそろそろ大河のオープニング、名前がシングルになってもいいころでは(扱い悪すぎ?)

風の果て もひきつづきしみじみ…役職やお家の内紛など、幕末の水戸藩をかすかに感じるところも多く…? そんな中で決して派手ではないけれど、現在と同じような人間の情が飛び交っていた様子を見るのはおもしろくてたまらない

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2007年11月11日 (日)

恒例?

昨日は恒例の?インフルエンザの予防接種を受けに。今年はTVの影響か、受けに来る人がとっても多いそうな。やっぱり1回かかると1週間は棒に振っちゃうので(周りにも影響大だし)、ぜひ摂取をオススメします?

ひきつづき「ふるさと文庫」 激派と民衆 読了。元水戸藩領大橋村での天狗/諸生の対立の図式を、史料をもとに詳しく分析。いわゆる天保検地の功罪なども織り交ぜながら、またこれらが一般の"百姓一揆"の範疇に入るのか、疑問も呈しているあたりが興味深い…かなり難しい内容なのだけど、武士階級だけでなく、農村の知識層でもこういう対立が根深くあったという事実を突きつけられて鬱々としてしまうなあ…

この「大橋」って、以前「ツインリンクもてぎ」へ抜けるときによく通っていたところでは…のどかないいところなのに。こんなことがあったとは~

さてドラマでは相変わらず 医龍2 を楽しみに。阿部サダヲさんの出番が少ないのは残念だけど、大塚寧々さんも大好きなので。そういう意味では次回ふたりのシーンがとっても期待大?

風の果て もしみじみいいなあ…たとえ若い頃の理想と食い違っていても、突き進まざるを得ない道のやるせなさがなんともいえず…送り火も美しかった

SP も初回は後半しか見られなかったのだけど、こちらも地味ながらかなりいい感じで…音楽や"プチニュータイプ"っぽい力、底流にダークな伏線がありそうなのも好みだし。デスクとか車を踏み越えてのアクションがとっても「踊る」っぽいけど…(笑) (あのジャンケンは"ルパン"ですかい?)

そして真木よう子が目をひいてしかたがなく…う~ん今回も釘付け(笑) 「ゆれる」も「風林火山」も見たけど、こんなにイイとは。このコスチュームと髪型を選んだセンスだけでもすごいなあ…来週が待ちきれん?

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2007年11月 5日 (月)

在宅。

今日(昨日?)は茨城県立歴史館・「徳川斉昭を学ぶ」第4回の日だったけど行かれず…う~む残念
日がなわんこと戯れる…

変わりというわけではないけど?、先日の水戸旅行で買いこんで来た「ふるさと文庫」 天狗党鹿島落ち 読了。内容はタイトルどおり史料や伝承満載の元治元年・鹿島周辺での天狗騒乱についての解説…ううむしかしこの方面については自分的にあまり縁や関心がなかったこともあって、読み終わってもやっぱり理解度はいまいちか~?(汗)

それにしてもところどころの伝承が生々しい…そもそもこの本が書かれたのは昭和4年ということで(その後何度も形態を変えて復刻されているらしいけど)、ということは"事件"からは65年しか経っていない時点…それから現在まではもう78年経っていると思うとなんとも感慨深いなあ
この本に書かれている記念碑などはまだ健在なんだろうか?(汗)

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2007年10月28日 (日)

週明け。

いろいろあってしばらく書けず

先週の日曜は日野宿本陣文書検討会の例会で、多摩センターは富澤家住宅(※以前の訪問記は「Report 9」ページ参照)へ。ここは新選組の面々とも深い親交があった連光寺村名主・富澤忠右衛門政恕さんのお家が移築されたもの…そこで政恕さんが書かれた京都訪問記・ 旅硯九重日記 を読もうという趣向。明治天皇も休憩したことがあるというありがた~いお部屋に机を並べて活字を追うという雰囲気はまた格別。こういう使い方もできるのだな~…というか、こうして人が出入りして使ったほうが家の保存のためにもいいのかも? それにしてもまだ10月の、しかも晴天で日当たりのとってもいい日にあんなに底冷えがするとは…日本家屋って寒いのだなあ

おりしも?先週の毎日新聞夕刊「歩きたい-散歩の言い訳」のテーマは「多摩モノレール」でありました…「多摩センターのパルテノンの丘の先には特に何もない」と書かれていたけど、新選組フリークにとってはこの富澤家住宅だの、布田道だの、小野路の小島資料館だの、お宝の山であるのだけど(笑)

さて本ではやっとこさ家近良樹さん著・ 幕末の朝廷 読了。なかなかわかりにくい孝明天皇を軸とした幕末の朝廷の相関図がいろいろな史料をもとに洗い出されていて、幕末史に頻出する鷹司関白、九条関白、中川宮などの人となりや幕府との距離感などが以前よりかなり整理されて頭に入った…かな?(笑)←まだまだ難しいけど

そして先週水戸で買いこんで来た瀬谷義彦さん著・ 水戸の斉昭 も読了。こちらもなかなか評価の難しい斉昭さんの"功罪"取り混ぜた生涯を、史料を元に分析…しかし、本当に贈り名の"烈公"がぴったりの強烈な個性の人だったのだなあ…愛憎も激しすぎるし
まあたしかにこういう"アク"もたまには必要なんだろうけど…"君主"という立場の人には、やはり私情を抑えて自分の能力よりも他人の力のほうをうまく使い分ける"才能"が重要なんだろうなあ

TVでは… 医龍2 がおもしろすぎる…と思ったら脚本が「ハゲタカ」の人だった
やっぱりこういうテイストが好みなのか
風の果て も地味だけど、こういう武士の地道な生活ぶりが伺えるものはかなり好みかも

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2007年10月21日 (日)

まだまだ水戸 [3]。

10/20/2007

3日目、起きたら昨日の雨がウソのように晴天。この際なので、昨日あまりいい写真の撮れなかった那珂湊の 反射炉 へもう一度出かけることに。今回は那珂川沿いの道をのんびり気分良くドライブ…のつもりだったら途中で全損事故直後の現場を目撃してしまった…(汗) うわ~あのあとどうなったんだろう…こんな天気のいい日に悲しいなあ

再び訪れた反射炉では、通りかかったおじさんが、そこから見渡せる山々や天狗党の乱のときの話などを聞かせてくれたりして、ふたたび出かけて行った甲斐があってよかったよかった? いや~この町の人にとってはよっぽどひどい記憶なんだな(涙)
反射炉の下にあるお堂のあたりにも、部田野戦の戦死者が埋まっているという話もあるとか…

その 部田野 、どうも位置がいまいちよくわからないので再びそのあたりまで走り、昨日とは国道を隔てて反対側方面も廻ってみる…「部田野」という名前からなんとなくだだっ広い開けた場所を想像していたのだけど(砲戦をしたくらいだし)、実際行ってみるとけっこう起伏が激しくて戦いの様子がイメージできない…?

などと言いつつそれっぽい場所を何箇所かカメラに収め、とりあえず満足(正直、これが今回の主目的だったと言っても過言ではない?)

目的は果たしたので?また水戸市内へと戻り、 祇園寺 へ。ここには 諸生党殉難碑 があり、前に一回訪問したことはあるのだけど、そのときに探せなかった諸生党の頭目・ 市川三左衛門/朝比奈彌太郎 さんらのお墓を見学&お参りに…
たどり着いてみたらどちらの家のお墓も、広さ、雰囲気ともに他とは全然違っていた…ううむ常盤や酒門などの均一な墓石を見た後だとちょっとびっくり

足を延ばして、我が家のお墓にもひさびさお参り…そしたら隣にいきなり新しい立派なお墓が建っていた(!) うわ~ますますうちの墓が寒々しく見えるじゃあ~りませんか(涙) しかし前回訪ねたときからずいぶんといろいろなことが判明したせいで、墓石を見るのにもまた別の感情が湧き出してくるなあ…ひきつづき頑張って調べなければね

常盤神社の 義烈館 (微妙に展示の配置が変わっていた)にも立ち寄ったあと、県立歴史館へ。 南梁年録 の元治元年・天狗党の乱のあたりを購入。そして前々から気になっていた 神勢館 (砲術の練習所、天狗党の乱の折に戦場となって焼失)や 赤沼獄 (牢屋)の位置などを教えていただく…どちらも碑が建てられているとのことで、突然の質問にも関わらずすごく詳しい地図をいただいてしまい、恐縮~
おかげさまでどちらにもスムーズにたどり着け、今回の目的はほぼ達成…

しかしまだ日が残っていたので欲を出し、そのまま6号線を南下(南上?)、"長岡屯集"の 長岡 あたりをうろうろした後、ようやく帰路に。普段はとても行けないところにいけたり、地元本なども入手できたり、(初日のホテルを除けば)ほぼ満足な3日間でありました…ふう

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もっと水戸 [2]。

10/19/2007

この日は 大洗/那珂湊 方面がメイン。まずは大洗の 幕末と明治の博物館 へ。このあたりは天狗党の乱のころ戦場となった場所なので、そのあたりの情報があるかと楽しみにしていたのだけど、聞いてみたらそれ関係はいっさいないとのこと…展示物もごく一般的な水戸藩の有名人や、明治天皇、大正天皇関係ばかりだったし。ううむそんな内容ならこの場所で"幕末"と銘を打つ必然性があるのだろうか…(←睡眠不足なので余計に不機嫌/このあたりでもまだ肺が痛かった)

そのまま橋を渡り、対岸の那珂湊(現ひたちなか市)の ふるさと懐古館 へ。豪商・木内家の土蔵がそのまま郷土資料館として利用されているところで、柱には天狗党の乱の時につけられたという刀傷も。このあたりは戦闘に巻き込まれて被害が甚大だったそうで、"町の人たちはみんなどこそこへ逃げて大変だった"とか、かなり生々しいお話も聞け、幕末フリークとしては満足度高し…

次は 反射炉 、そして 山上門 へ。この 山上門 は小石川の水戸藩上屋敷の門を昭和になってから移築したものだそうで、小石川のほうに当時を偲ばせるものがあまり残っていないことを思うとかなりなありがたみが… 反射炉 は徳川斉昭さんがカノン砲を造るために建設されたものだそうだけど、これも実は天狗党の乱の時に破壊されてしまったものを、昭和になってから復元したものだとか。う~ん予想してたものよりかなり小型でかわいらしかった?…他の反射炉を見たことがないのでなんとも言えないけど

丘の反対側には水戸藩主別邸の 夤賓閣(いひんかく) 跡が。浜御殿 とも言われていたらしく、ここも元治元年の戦闘記録に頻出。丘の上からは太平洋や、対岸の大洗、祝町などが一望。元治元年にはここを挟んで天狗/諸生のにらみ合いが…
同じ丘に上にある小学校には郷校のひとつだった 文武館 跡の碑も

その後は少し北へ走り、 部田野 へ。このあたりではかなり激しい砲戦があったそうで、うちの高祖父も従軍していたそうな。近くの十三奉行の道端にはここでの戦死者を葬った 首塚 があり、そこもお参り…墓域には天狗党側の碑も別に建っていたけど、たぶん中心にあるこの 忠勇戦死之墓 は両軍区別なしに供養したもの…なのかなあ? ほかに軍馬の供養塔などもあり

さらにこのさい水戸藩関係のスポットを廻ろうと、平磯から海岸沿いの道を北へ。ううむ季節はずれの曇天の海水浴場はなんとも言えないわびしさ…(笑) しかし目の前いっぱいに太平洋の荒波?が!! この風景を見ると、水戸藩の人々が"夷敵"に対して異常にナーバスだったことがつくづく納得できるなあ

誰も居ない阿字ヶ浦の 酒列磯前神社 で境内の斉昭さんの腰掛け石を見、たっぷりフィトンチッドを浴び(こんなすごい鬱蒼とした参道は初めてかも)、6代藩主・治保さんが海に向かって東屋を建てたという 比観亭 跡などを見た後は、戦闘記録に登場する地名のあたりをうろうろしながら水戸方面へ(←かなり不審な動き)

途中、甲斐へ配流になる前の武田氏(信玄さんのご先祖)の発祥の地だったという、その名も"武田"にある復元館と 湫尾神社 にも立ち寄る…ううむここのスダジイは樹齢400年~450年とも言われ、すごい迫力。"武田"の名前に恥じぬ?雰囲気をかもし出しておりました

このあたりで日も暮れ、雨も降り出して来たのでおとなしくホテルへ…LANはあきらめ禁煙ルームに変えてもらってようやく落ち着く(やれやれ) あまりにも疲労が溜まっていたので駅近くで全身マッサージもしてもらい、やっとまともな休暇らしくなってきた?(笑)
さらには書店で「ふるさと文庫」が大量に置かれているのを発見~!!(東京ではまずお目にかかれない) …というわけでついつい大人買い…

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しつこく水戸 [1]。

10/18/2007

生まれて初めて有給休暇というものが発生したので、2泊3日でまたまた水戸探訪へ。とは言っても今回は主に普段行かれない市外のスポットを車で廻ろうという計画

まずは一気に常陸太田の 西山荘 へ…ここは水戸光圀さんが隠居後に生活したところ。我が家の2代目とも縁の深いところなので、前々からぜひいちど訪ねてみたかったのだ

周囲はちょっと整備されすぎな気がしたけど、西山荘自体の内部は意外にもいまだ鬱蒼とした雰囲気が保たれていて、おまけにオフシーズンの平日ということもあってか他にあまり人も居ず、のんびりと空気を味わうことができて満足。ちょっと離れたところにある"助さん"のモデルとされている 佐々介三郎 さんの家があったという辺りへも足を延ばしたけど、その間誰にも会わず…しかしこんなに離れていたら、お仕えするのにかなり不便だったんじゃ…

そしてそこからまた少し北へにある、水戸徳川家の墓所・ 瑞龍山 へ。どうも観光地らしい雰囲気がないな、と思いながらやっとたどり着いてみたら、なんと現在非公開だった…が~ん。ガイドをよく読んでみたら、たしかに小さく"非公開"となっている…うううけっこう楽しみにしていたのに。もっと大きく書いておいてくれよ~(涙) でもとりあえず門と脇の番所をカメラに収め、今回はこれでよしとする…
たしか山川菊栄さんのお祖父さん・青山延寿さんは、徳川斉昭さんの月命日には毎月必ず水戸からここまで歩いて通っていたとのこと…往復50kmくらい??? ううむ昔の人はすごいなあ

ちょっとがっくりしながらまたまた市内へ戻り、助さんこと佐々介三郎さんのお墓がある 正宗寺 へ。田んぼの中にぽこっと木立と門が見え、なんともいい感じ。助さんのお墓は本堂の裏手の斜面にひっそりと。さらに登ったところにある広場には、水戸藩成立前にこのあたりを治めていた佐竹氏のお墓も…華美なところのまったくない、程よく枯れた雰囲気にちょっと和みつつ、次は市の中心部にある 郷土資料館

ここ太田は元治元年の「天狗党の乱」のときに諸生党・幕軍側の拠点のひとつになったところでもあるので、もっとそちら関係の情報はないか期待していたのだけど(以前ちょっと史料を送っていただいたこともある)、どちらかというとここのメインの関心は佐竹氏のほうのようで…いや、佐竹氏の居城があったくらいなので、当然といえば当然なんだけど

でも元治元年の折の(幕軍側として戦った) 二本松藩士 らの墓が近くにあるということで、場所を教えていただきお参り。普通の住宅の裏にある小さな墓地に唐突にあってびっくら(教えてもらわないととても辿りつけなかったかも…)

その他、 久昌寺 裏の 義公廟 などを訪ね、日も暮れて来たので今回の拠点にするつもりの水戸市内のホテルへ…
そしたらこれがとんでもなかった…LAN回線は通じず、わざわざ持っていたノートPCはまったく役立たず(しくしく)…さらに部屋中にタバコの臭いが染み付いていて肺は痛くなってくるし、吐き気がこみ上げて来るし(あいにく満室で交換もできず) 文句を言ったらリセッシュを持ってきてくれたけど…(おいおい) 結局1時間ごとに吐き気と頭痛で目が覚め、リセッシュを部屋中に振りまいてごまかす、というひどい晩だった…(涙)

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2007年10月 8日 (月)

またまた水戸。

昨日はふたたび 徳川斉昭を学ぶ の第3回目を聴きに水戸の茨城県立歴史館へ

今回はその前にまず酒門共有墓地へ立ち寄り、戸田忠太夫/安島帯刀/小宮山楓軒/石河徳五郎さんなどのお墓を見学&お参り。常盤共有墓地が上市居住の藩士用に創設されたのに対して、こちらは下市側用のものだったそうな。常盤~のほうは現在"天狗"側の聖地?のようになっていて、密集したパワーに圧倒されるけど、こちらは台地の上に開けた場所にある上、あちこちにぽっかり空間があり、のほほんとした空気が漂っていてちょっとほっとするものがあり…天気も良かったし

そしてそのまま坂を下り、備前堀から水戸の入口・銷魂橋(たまげばし)などを見ながら、結局水戸駅まで歩いてしまった…(いつものことながら、バスの本数が限りなく少ないのと"流し"のタクシーがいないのが辛い~(涙))

「徳川斉昭を学ぶ」のほうは、今回は「海防・国産奨励」という地味な?テーマのためか、前回より多少人が少なめ?…とは言っても講堂はほぼ満員。お話の内容も、斉昭さんの超"おたく"的こだわりやパワーが伝わってきて…いや、家臣も幕府も振り回されて大変だっただろうなあ(涙) 私みたいに土地勘の無い人間にとっては、市内・県内のどのあたりで何があったのかがわかったり、あと地名の読み方が確認できたりするのもありがたい

そして講演後にロビーに置かれた図書をパラパラしていたら… 南梁年録 (小宮山南梁(楓軒さんの孫)による記録)に明治元年の諸生党処分に関する記事を発見…!! (ううむ人名が全部当用漢字に直っているので一瞬読み飛ばすところだった…) どうやらこれが、いままで見てきた諸生党名簿などのソースなのだろうか…? これによるとやはり前後関係から高祖父の死亡年は墓石のとうり戊辰(明治元年)で間違いなさそうな

しかしこれだと月に2ヶ月のズレが…(涙) ううむ活字化するときに"月"と"日"を間違えた…ということならつじつまが合うんだけどなあ。どうやら原本も見られそうなので、こんど確認してみよう

この明治元年分「南梁年録」が巻末に掲載された「茨城県立歴史館史料叢書 第4巻」は、前半に文久3年分が収録されていて、個人的には"夢"の?カップリング(笑) ちらっとだけど、新選組(まだ浪士組)の噂も登場しているし(新徴組や清河の後日談も頻出) 京都情報も多くて読みでがありそうな

ああそれにしても行きも帰りもものすごい渋滞でぐったり…連休最終日でもないのにナゼ???

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2007年9月13日 (木)

SUKIYAKI。

今日(昨日?)から スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ のメイキングDVD付き前売り券引き換え…あまり期待しないで?予約しておいたら、これがけっこうさんの露出が多くて大満足。佐藤浩市さんシーンにもなにげにほとんど映りこんでいるし(笑) し、しかし疾走シーンはまだしも…あの馬にまたがるときのもたつき具合は…???(あれは演出なのか素なのか)

でも、ヘンな?グッズよりはこういうメイキングモノがおまけに付くほうが、ファンとしてははるかに満足度高し…お話自体も、期待していたよりかなり面白そうだし。堺さん、佐藤浩市さんのほか、香川照之さんもまたまたかなり良さげ

さてちょっと前には 水戸藩・戊辰の戦跡をゆく 読了。う~ん、どうも水戸藩以外の部分の記述について、近藤勇が伏見奉行所から討って出ていたり、大坂城"天守閣"が戊辰戦で焼け落ちていたり、江戸開城後水戸に移る慶喜さんを土方が途中まで護衛していたりとかなり「???」な部分が多いのが不安なのだけど…(汗) でも水戸藩関連の部分、特に戊辰戦での諸生党の足跡などを実際に訪ねて調査されている箇所については、まだまだこのころには(昭和61年発行)諸生党についての研究などほとんど進んでいなかっただろうことを思うと頭が下がるばかり…いつか自分でも訪ねてみたいなあ

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2007年9月 3日 (月)

ふたたびの水戸。

今日(昨日?)の日曜は、以前あさくらゆうさんに教えていただいた講演 徳川斉昭を学ぶ の第2回を聞きに、水戸の茨城県立歴史館

ついでと言ってはなんだけど、前回行き損ねた弘道館へようやく立ち寄り、門の弾痕やら、有名な「尊攘」の掛け軸やら、江戸城明け渡し後水戸に移った徳川慶喜さんが謹慎していた部屋などを見学…(←リアルに厠もついている~) まったく華美なところがなく、ピシッっと建っているところがなんとも言えず良い雰囲気でありました

売店では鈴木茂乃夫さんの 水戸藩・戊辰の戦跡をゆく を購入。芹澤鴨さんから箱館戦争に派兵された藩士のことまで追われていて、さらには諸生党の足取りについてもかなり詳しく書かれているようなので、ちょっとこれから楽しみに…
←※写真は斉昭さん"御手植え"の鈴梅

その後は徳川博物館へ。水戸徳川家に伝わる工芸品などに囲まれて、斉昭さん製作という「電池」(現在のものとはかなり形状が違う)が展示されていたのがなんとも印象的…う~んやっぱりかなり変わったお殿様だなあ(笑)

さていよいよその斉昭さんについての講演へ。いちおう定員200人ということだったけど、ホールには人が溢れかえり、かるく300人は越えていたのでは…

今回は 天保の改革-ブレインたち- というテーマではあったけど、お話の内容はちょっとずれて、天保の改革がどういう思惑の元に行われたのかということをとても簡潔に、ポイントをまとめて教えていただき、1時間半があっという間…斉昭さんが藩士たちに自分の考えを示したという「告志篇」についても、資料だけ読んだのではかなり難解だと思うのだけど、これに対する天狗/諸生・両派の受け取り方の違いなどもわかったし
全7回シリーズなので、今後も体力が許せば聞きに行きたいものだけど…

せっかく出かけていったので、以前購入した「茨城県資料」に納めきれなかったという 江水御規式帳 の別刷り冊子が発行済みなのか伺ってみたところ、しっかり発行されていて一部分けていただき、こちらもうれしい…これは藩士のひとりが仕事の余暇に趣味で?各種資料にあたって天保11年に作成したものらしいのだけど、この資料がすごいのはなんと言っても各藩士の詳しい役職だけでなく、その就任日がかなり正確に記載されているところ(うちの9代目についても「水府系纂」と1日の誤差しかなかった)

さらには江戸詰めだったのか、それとも水戸に居たのかが記号で示され、ほかの「規式帳」は苗字と通称しか書かれていないものが、これはしっかり「名」まで明記されている…う~んかなりなマニアのこだわりを感じるなあ(笑) 各人についての役替えなどの注釈も読み込んでいくと楽しめそう

さらに閲覧室ではあさくらさんにばったり(やっぱり?)遭遇。またまた大変お世話になってしまいましたありがとうございました~(汗)

ここでは 諸生党名簿 なるものを閲覧。でもこれは私も知っている資料ほか複数のソースに書かれている名前を近年まとめ直したもの、という感じだったのでどうなのか…(これだと墓石に刻まれた高祖父の没年月日と、死亡日時に約丸1年の誤差があるのだが~)
※まあ私の持っている某書の"諸生党名簿"でも、高祖父の名前は"明治元年(戊辰)死亡"のグループと"明治2年刑死"のグループ両方に含まれているので、元々すごく混乱があるのだと思うけど…
ただ今回の"新情報"としては、亡くなったときの役職についても書かれてあったことで、これはうれしいのだけど。これの元資料は何なのか…う~んう~んまた一進一退???(泣笑)

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2007年9月 1日 (土)

南千住。

今日は前々から気になっていた 彰義隊とあらかわの幕末 展を見に「荒川ふるさと文化館」へ。錦絵やら、隊士の身上書やら、回向院の過去帳やら、村絵図やら詳しい人が見たらそれこそよだれモノかもしれない史料がところ狭しと展示されていたけれども、いまいちこちらの知識が不足しているのがなんとも残念? 彰義隊についての知識と言えば、吉村昭さんの 彰義隊 や司馬遼太郎さんの 花神 で読んだくらいのものだからなあ…昔、縁あって6年間上野山中に通っていたことがあったのだけど、遅くまで残っていると「彰義隊が出るぞ~!!」と脅されたものだった…でも当時はまったく「幕末」に興味がなかったのでなんのことやら(笑) うーむもっと実地に勉強しておけば~っっっ

吉村昭さんの「彰義隊」では、輪王寺宮が上野から落ち延びて近隣の名主の家などに匿われるシーンが印象的だったけど、それが荒川区のこのあたりだったそうで。上野のこんな近くだったのかと認識を新たに…
(さらにこの企画展カタログによると、やはり昔ちょっと縁のあった中野の宝仙寺が、後に上野の彰義隊に合流したという仁義隊の屯所にされていたとのことで…これはまったく初耳でびっくら)

そしてちょうどこの「荒川ふるさと文化館」のあたりから北が千住宿だったらしいので、宿場マニア?の私としてはちょっと期待していたのだけど、それについてはあまり史料なし…これは川向こうの足立区に譲らなければならないようで

その後はすぐ近くにある円通寺へ。ここは彰義隊と新政府軍が上野で対峙した黒門が移築されているところ。行ってみたら駐車場の真ん中あたりにフェンスに囲まれて唐突に立っていて、ちょっと情緒に欠けるような?(笑) その黒門の背後には鬱蒼とした茂みの中に、彰義隊戦死者墓やら大鳥圭介/榎本武揚/荒井郁之助/永井尚志/松平太郎/高松凌雲/天野八郎などなど"旧幕府側"ビッグネームの墓碑や記念碑があまり規則性も無く林立。う~んここまで密度が濃いとちょっと笑ってしまうな

前にここを訪ねた人から"藪蚊に注意!!"と言われていたにもかかわらず、いつもどおりすっかり失念してなんの準備もして行かなかったら、やっぱりお約束どおり集中砲火にあってしまった…(涙) 藪自体はそんなにたいしたものではないのだけど、普段あまり人が入らないせいか?みなさんすっかり飢えているようで…(ほかに崖をよじ登った話も聞いたような気がするのだけど、めっきり平地でそんなものはなかったぞ…??? ←記憶違い?)

そしてひきつづき南千住駅すぐ脇にある小塚原刑場跡地・回向院